第4章

イエス・キリストの最初の降臨

その後、イエスが人間の性質を受け、人間になるまで地位を下げ、サタンの試みを受ける時代まで私は運ばれた。

イエスの誕生はこの世的な壮大なものではなかった。 馬小屋で生まれ、飼い葉おけの中に寝た。 しかし、人間の誰の誕生よりもはるかに名誉のある誕生だった。 神様の光と栄光と共に天国から天使たちが降りて来て、羊飼いたちにイエスの誕生を告げた。 その天使たちはハープを持って、神様をあがめた。 天使たちは神様の息子が身受けの仕事を成し遂げるためと、彼の死によって平和、幸福と永遠の命を人間に与えるためにこの堕落した世に誕生した事を勝ち誇って布告した。 神様が自分の息子の誕生に名誉を与えた。 そして天使たちは彼を拝んだ。

イエスが洗礼を受けた時に天使たちはその上に舞っていた。 周りに立っていた人たちは驚きのあまり、その場に釘付けになった。 聖霊が鳩の形になって降りて来て、イエスの上に止まった。 そして父なる神様の声が天から、「これは私の愛する子、私の心にかなう者である」と言うのが聞こえた。

ヨルダン川にいたヨハネは、洗礼を受けるために来た者が救い主かどうか、はっきり分からなかった。 しかし、神の小羊を表すしるしによって見分けが付く事を、神様は約束していた。 そのしるしとは、イエスの周りに神様の栄光が輝き、聖なる鳩がイエスの上に止まる、というかたちで与えられた。 ヨハネはイエスの方に手を差し伸べ、大声で、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言った。

ヨハネは「イエスは約束されたメシヤ、世の救い主だ」と自分の弟子たちに教えた。 自分の生涯が幕を閉じようとしている事を知って、弟子たちにイエスを見習い、偉大な先生としてイエスに従うよう教えた。 ヨハネの人生は楽しみの無い、悲しみにあふれた自己否定の人生だった。 イエス・キリストの最初の降臨を布告したのに、イエスが発揮した力や起した奇跡を見る事は許されなかった。 イエスが教職に就いたら、自分は死ななければならない事を知っていた。 荒野以外では、あまり彼の声が聞こえられなかった。 その人生は寂しいものだった。 自分の使命を果たすために父親の家族の楽しい交わりに執着せず、彼らから離れて行った。 不思議で独創的な預言者の教えを聞くため、大勢の人は慌ただしい町や都会から荒野に出かけた。 ヨハネは木の根におのを当てた。 結果を恐れずに罪を責め、神の小羊の道を用意しておいた。

ヨハネの力強く鋭い証しを聞くとヘロデ王の心は動かされた。 弟子になれるには何をしなければならないか、と興味深く尋ねた。 ヘロデが自分の兄のまだ生きているうちに、兄の妻と結婚しようとしている事実を、ヨハネは知っていた。 そして忠実に、そうする事は不法だとヘロデに言った。 ヘロデに何一つ犠牲にする気などはなかった。 兄の妻と結婚し、彼女の影響を受けた彼は、ヨハネを捕らえ、獄に入れた。 でもいつか彼を解放するつもりでいた。 拘束されていた間ヨハネは、弟子たちを通して、イエスの力強い働きの話を聞いた。 イエスの恵みに満ちた話を直接聞けなかったが、弟子たちに聞かせてくれた話で慰められた。 ヨハネはすぐ、ヘロデの妻のさしがねで、首を切られた。 イエスの奇跡を見、その口から出る優しい言葉を聞いて、イエスに従った一番小さな弟子がバプテスマのヨハネよりも偉大である事を、私は見た。 つまり、彼らはヨハネよりもっと誉れ、高められ、その人生がもっと楽しいものだった。

ヨハネは、エリヤの霊と力によって、イエスの最初の降臨を布告するために働いた。 私に世の終わりの時代が示され、ヨハネは、エリヤの霊と力によって怒りの日とイエスの再臨とを布告する人たちの代表者である事を私は見た。

ヨルダン川で洗礼を受けてからデビル(悪魔)の誘惑を受けるためにイエスは聖霊によって荒野へ導かれた。 イエスはその特別な場面の強烈な誘惑のため、聖霊によって、備えられていた。 四十日間、何も食べずに悪魔の誘惑を受けた。 イエスの周りは、人間が普通避けるような不愉快なものばかりであった。 野生の獣と悪魔と一緒に、寂しい荒れ果てたところに居た。 断食と苦しみのために、神様の息子はやつれ、顔が青ざめているのを私は見た。 でもイエスの進路は示されていて、するためにやって来た仕事を成し遂げなければならない。

サタンは神様の息子の苦しみに付け込み、数々の誘惑をするために準備をした。 神様の息子が自ら位を引き下げ、人間となったので自分に負けるだろう、とサタンは期待していた。 サタンはこの試みを持ち出した→「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。 イエスより下の位にある自分にイエスが位を引き下げ、神性な力を働かせ、救い主である事を証明させる事がサタンの試みだった。 イエスは穏やかに、「『人はパンだけで生きるものではない、神から出るすべてのことばによる』と書いてある」と答えた。

サタンは、イエスが神様の息子かどうかについてイエスと言い争いたかった。 イエスの弱く苦しい状態に触れ、自慢げに自分の方が強いと主張した。 しかし、「これは私の愛する子、私の心にかなう者である」という天から語られた言葉で、イエスはすべての苦しみを耐え抜く事ができた。 イエスの使命には自分の力や、自分が救い主である事をサタンに説得するところが全然ない事を私は見た。 サタンには、イエスの高い位と権威についての証拠が十分であった。 その権威に従うのを嫌がっていたのでサタンは天国から締め出された。

自分の力を見せるためサタンはイエスをエルサレムに運び、神殿の頂上に立たせた。 神様の息子ならその証拠を示すため、自分に立たせられた目がくらむような高いところから身を投げてみよ、と再び誘惑した。サタンは霊感によって書かれたところを引用して、「『神はあなたのために御使いたちにお命じになる』と、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」と言い付けて来た。 イエスは、「主なるあなたの神を試みてはならない」と答えた。 イエスが父のあわれみに付け込み、使命を果たす前に自分の命を危険にさらすのはサタンの狙いだった。 サタンは、救いの計画が失敗に終わる事を望んでいたが、その計画が熟考されているので、このようにサタンによって倒されたり、傷付けられたりするのは無理だという事を私は見た。

イエスとは、皆のクリスチャンが誘惑されたり、権利が問われたりする時の手本である事を私は見た。 彼らはそれを辛抱強く耐えるべきである。 神様が直接あがめられ、栄光を受ける特別な目的がない限り、敵に対して勝利を得るために神様の力を発揮させるような権利はクリスチャンにはない、と考えた方が良い。 イエスが身を頂上から投げ落とし、サタンと神様の天使たちしか目撃しない事をするなら、自分の父は栄光を受けない、という事を私は見た。 その上、これは主が一番強い敵に自分の力を見せる誘惑でもあった。 そうするなら、イエスが征服するために来た相手の位まで自分自身を引き下げることになってしまう。

「それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、『これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。 それらは私に任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。 それで、もしあなたが私の前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう。』 イエスは答えて言われた、『引き下がれサタン。』 『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

ここでサタンがイエスに世の国々を見せた。 最高に魅力のあるところを見せた。 この場で自分を拝むなら、その国々をみなイエスに与える、とサタンは約束した。 地球の所有権を主張するのを放棄する事も約束した。 救いの計画が実施されたら、自分の力は制限され、最終的には取り除かれる事をサタンは知っていた。 人間を身受けするためにイエスが死ぬなら、いずれ自分の力を失って、殺される事をも知っていた。 だから可能なら、神様の息子が開始した偉大な仕事の完成をじゃまする事はサタンの熟考された計画だった。 もし人間の身受けの計画が失敗に終われば、自分のものと主張した地球の所有権を持ち続けられるようになる。 そして、もし自分の計画が成功したら、天の神に対立して、地球を支配し続けられるだろう、とサタンはうぬぼれていた

イエスが自分の力と栄光を天に置き去った時にサタンは大変喜んだ。 神様の息子は自分の手の中にあると思った。 エデンの園で聖なる二人を簡単に陥れたから、自分のサタン的悪賢さと力で、神様の息子をも倒せるだろう、それによって自分の命と国を守れると思った。 イエスを自分の父の心にかなわない誘惑に陥れる事ができるなら、目的達成。 しかし、イエスは「引き下がれ」とサタンに命じた。 イエスは自分の父だけにひざまずかなければならない。 イエスには、自分の命でサタンの持ち物を買い戻す時がくる。 そしてしばらくすると、天国と地球にいる者が皆イエスに服従する。 地球の国々は自分のものであると主張していたサタンは、イエスが受ける苦痛が回避できるかもしれない、とイエスにほのめかした。 この世の国々を得るために死ななくても良い。 ただ自分を拝んでくれるなら、地球のすべてのものとそれに伴う支配の栄光が手に入れる。 (しかし)イエスは動揺しなかった。 合法的に世の国々を相続し、手渡され、そして永遠に所有するために自分の父の指示に従い、苦痛な人生とひどい死に方の道を選んだ。 その上、サタンもいつかイエスの手に渡され、死で滅ぼされ、二度とイエスや栄光にいる聖人たちを煩わせる事はない。

申命記6:16、8:3、列王記下17:35−36、詩篇91:11−12、ルカ2−4章を参照

目次に戻る



第5章

イエスの働き

サタンが試みをやめて、しばらくイエスから離れた。 そして天使たちは荒野で料理を作り、イエスを元気付けた。 そこで自分の父からの祝福がイエスを覆った。 一番強烈な誘惑が失敗に終わったが、サタンは悪賢く、イエスが働いている間に時々イエスを攻撃するのを楽しみにしていた。 イエスを受け入れない者を扇動し、イエスを憎ませ、殺させる事によって、まだイエスに打ち勝つ事を望んでいた。 サタンと彼の天使たちは特別な会議を開いた。 神様の息子に対して何もできなかったので彼らはがっかりして、激怒した。 もっとずる賢くなって、イエスは世の救い主である事に対して同胞者が疑うようになるため全力を尽くそう、と決めた。 この方法でイエスを落胆させ、やる気を無くさせようとした。 ユダヤ人がどれほど儀式と、いけにえの任務を正確に守っても、預言に対して盲目にさせ、その預言を成就する者はこの世的な力強い王様であると信じさせる事に成功したら、救世主のやって来るのは未来だ、と考え続けるようになる。

次に、イエスが働いている間、サタンと彼の天使たちは人間が疑って、憎んで、軽蔑するよう仕向けるのに大変忙しかった様子が私に示された。 イエスが鋭利な真実でユダヤ人の罪を叱ると、彼らはよく激怒した。 サタンと彼の天使たちは彼らをせき立てて、神様の息子の命を取ろうとした。 ある時、石を拾って、イエスに投げようとしたが、天使たちがイエスを守り、怒っていた群集から安全なところに運んであげた。 又、別の時に、分かりやすい真実がイエスの聖なる唇から出たとき、群集はイエスを捕まえ、丘の崖まで連れて行き、投げ落とそうとした。 そこでイエスについてどうしたら良いのか、もめ始めた。 その時、天使たちが再び群集の目からイエスを隠したので、イエスは人込みを通って、去った。

サタンはまだ偉大なる救いの計画が失敗に終わる事を願っていた。 皆の心をかたくなにさせ、イエスに対して無情を起こさせるのに全力を注いだ。 イエスが神様の息子であると受け入れる人があまりにも少なく、自分が味わう苦痛や犠牲は大きすぎる、とイエスに考えさせる事はサタンの狙いだった。 しかし、たった二人でもイエスは神様の息子であると受け入れ、魂を救うに至るまでの信仰を持っていたなら、イエスはその計画を実施してあげた事を私は見た。

イエスはまず、サタンが人々を苦しませる権力を破る働きを開始した。 その悪権力で苦しんでいた者をいやした。 病人を回復させたり、足の不自由な人を癒してあげたりしたので、彼らは喜びのあまり胸が躍り、神様に栄光を帰した。 イエスは長年サタンの残酷な力で縛られていた目の見えない人に目が見えるようにしてあげた。 弱い者、震えている者や、落胆した者を恵み深い言葉で慰めた。 死んだ人はイエスに復活していただき、神様の偉大な力が示されたので神様をあがめた。 イエスを信じた人のためにイエスは大いに力を発揮した。 サタンが以前勝ち誇って、握っていた苦しんでいる弱い者をイエスはもぎ取り、自分の力で彼らに健全な体を与え、大きな喜びと幸せをもたらした。

イエスの人生は慈悲と思いやりと愛に満ちたものであった。 いつも寄って来る人たちの話を丁寧に聞き、彼らの苦難を和らげてあげた。 多くの人がイエスの神性な力の証拠を自分の身に持っていた。 でも、そのわざが行なわれてからすぐ、たくさんの人はあのへりくだりながら偉大な先生を恥に思っていた。 なぜなら、指導者たちがイエスを信じなかったので、彼らはイエスと一緒に苦しみを受けたくなかったからである。 イエスは悲しみの男で、悲嘆を知っていた。 イエスの真面目な自制のある生活を耐える事のできる人は少なかった。 彼らは世が授けるような名誉が欲しかった。 多くの人はイエスに付いて行き、その唇から出る恵み深い言葉や教えを楽しく聞いていた。 その言葉は意味深かったが、一番弱い者でも理解できるように分かりやすかった。

サタンと彼の天使たちは忙しかった。 ユダヤ人の目を盲目にし、理解力を曇らせた。 サタンは民の長と指導者たちを扇動して、イエスの命を取らせようとした。 そしてその指導者たちは、イエスを連れてくるように役人を送ったが、彼らはイエスに近づくと非常に驚いた。 それはイエスが人間の苦難を目撃すると、哀れみと思いやりが沸いてきて、愛を持って優しい言葉で弱い者や悩みを抱えている者を元気付けるのを彼らは見たからである。 更に、権力のある話し振りでサタンの力をとがめ、サタンの支配下にいる捕虜たちを自由にせよ、と命令する事をも聞いた。 イエスの唇から出た知恵ある言葉の数々を聞いていた役人たちは魅了され、イエスに手を掛けられなかったので、手ぶらで祭司たちや長老たちのところに戻った。 役人たちは、「なぜ、あの人を連れてこなかったのか」と問われた。 彼らが目撃したイエスの奇跡や、聞いた聖なる知恵、愛、そして知識に満ちた話を告げ、「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」と報告を終えた。 すると祭司長たちは、「お前たちもだまされている」と彼らを非難した。 何人かはイエスを連れて来なかった事を恥に思った。 祭司長たちは、イエスを信じてしまうような指導者がどこに居るか、とあざけった口振りで尋ねた。 本当は多くの指導者と長老がイエスを信じた事を私は見た。 しかし、サタンに縛られていたので、公に認めなかった。 彼らは神様より、人間の批判を恐れたからである。

この時点まできても、救いの計画はサタンの憎しみと悪賢さによって壊されていなかった。 イエスが世に来た目的を達成する時が迫ってきた。 サタンと彼の天使たちは協議して、キリストの同胞者がキリストの血を強く求め、新しい残酷な行為を考えだし、それを軽蔑的にもキリストにぶちまけるように仕向ける事を決めた。 イエスがそんな待遇に腹を立て、おとなしさや謙遜な態度を守らなくなるのがサタンの狙いだった。

サタンがその計画を練っていた間、イエスは味わわなければならない苦難を丹念に弟子たちに教えた。 自分は十字架に掛けられ、そして三日後に復活する事を。 しかし、彼らの理解力は鈍かったようで、イエスの言っている事がさっぱり分からなかった。

ルカ4:29、ヨハネ7:45−48、8:59を参照

目次に戻る



第6章

イエスの姿変わり

イエスの姿変わりで弟子たちの信仰が非常に強くなってきた事を私は見た。 信者たちがひどい悲しみや失望の中で確信を捨ててしまわないため神様は、イエスこそが約束された救い主である有力な証拠を彼らに与える事にした。 姿が変わった時に主は、イエスが経験する苦痛と死について話すため、イエスのもとにモーセとエリヤを送った。 神様は、自分の息子と話し合うのに天使を選ばないで、この世の試練を経験した者を選んだ。 イエスの信者の何人かはイエスと一緒に居る事が許され、イエスの服が白くてつやつやするのを目撃し、顔が神性の栄光で光るのを見、そして恐ろしく威厳のある声で神様が、「これは、私の愛する子である。 彼の言うことを聞きなさい」と言うのを聞いた。

エリヤは神様と一緒に歩んでいた。 彼の仕事は楽しいものではなかった。 神様は、エリヤを通して罪をとがめた。 彼は神様の預言者で、身を守るためにあちこち逃げなければならなかった。 野性動物を狩って、殺すようにエリヤは追われていたが、彼は死を見ずに神様によって天国へ移された。 そして大勝利と栄光の中、天使たちによって天国まで運ばれた。

モーセは大いに神様から栄誉を受けた人物だった。 彼の時代の前に生きていた人の中で彼ほど偉大な者はいなかった。 人が友達と話すように、面と向かって神様と話す特権が彼に与えられた。 また、父なる神様を包んだ輝かしい光や素晴らしい栄光を見る事が許された。 彼を通して神様は、イスラエルの民をエジプトでの奴隷の身から解放した。 イスラエルの民の仲裁者としてモーセは、よく神様の怒りと彼らの間に立った。 イスラエルの不信と不満のつぶやきや重い罪が神様の怒りに大いに火をつけた際、モーセがどれほど彼らを愛しているのかが試された。 もし彼がイスラエルから手を引いて、滅ぶがままにすれば、彼から大国を築く、と神様は約束した。 モーセは懸命な嘆願をもってイスラエルに対する愛を明らかにした。 神様が激しい怒りを抑え、イスラエルを赦してくれるよう、そうしないなら自分の名前を神様の本から消しても良いと、苦悩の中に祈った。 

水がなくなった時、自分たちとその子供たちを殺すためにエジプトから導き出したか、とイスラエルの民は神様とモーセに対して不満をつぶやいて、非難した。 神様がその不満のつぶやきを聞いて、モーセに、石をたたいてイスラエルの民に水を与えるよう命じた。 そこでモーセは怒って、石をたたき、自分に栄光を帰してしまった。 イスラエルの民の絶え間ない背教や不満のつぶやきがモーセを大変悲しませた。 神様はどれほど彼らに対して忍耐強いのか、それに、その不満のつぶやきは自分に対するものではなく、神様に対するものだという事をモーセは、わずかの間忘れてしまった。 モーセは彼らを深く愛したにもかかわらず彼らがあまり感謝しなかったので、自分はどれほど不当な扱いを受けているか、とばっかり考えていた。

イスラエルの民がその件を通して神様の偉大さを知り、あがめるはずだったが、モーセは石をたたいて、神様に栄光を帰さなかった。 そして主はモーセに対して不愉快に思い、「あなたを約束の地に入らせないよ」と言った。 よくイスラエルを窮地に導く事で彼らを試し、追い込まれた時に自分の力を示すことによって彼らの記憶に残して、そして彼らが自分をあがめる事が神様の計画だった。

二枚の石板を持って山から降りた時にイスラエルが金の子牛の像を拝んでいるのを見たモーセは激怒して、石板を投げて壊した。 モーセはこの事で罪を犯さなかった事を私は見た。 神様のために怒り、その栄光のため、しっとに燃えた。 でも心の元の感情に従い、神様に帰すべき栄光を自分のものにした行為は罪だった。 その罪で神様は、モーセが約束の地に入るのを許さなかった。

サタンは、天使たちの前でモーセを告発するためのねたを捜していた。 そして、モーセを陥れた事で神様を不愉快にさせたのを勝ち誇った。 世の救い主が人間を身受けするためにやって来る時、自分は勝って見せるぞ、と自慢そうに天使たちに言った。 この罪でモーセは、サタンが支配している国→死、に陥った。 もしモーセがしっかりして、栄光を自分のものにしなかったなら、主は約束された地に彼を導き、そして死を見ずに彼を天国に移ってあげる事はずだった。

モーセは死を通ったが、腐敗する前にミカエルが降りてきて、彼に命を与えた事を私は見た。 遺体は自分のものだとサタンは主張していたが、ミカエルがモーセを復活させ、天国に連れて行った。 自分の獲物である遺体をつかみながら悪魔は、それを取ろうとした神様を、「不公平だ!」と激しくののしった。 悪魔の誘惑と力で神様に仕えた人は陥ったのに、ミカエルは悪魔を叱らなかった。 キリストは自分の父を指して、「主があなたを戒めてくださるように」とおとなしく言った。

イエスは、一緒に立っている弟子の中で、死を味わう前に神様の国が力強く来るのを見る者がいる、と言った。 姿変わりの時にこの約束が実行された。 イエスの表情の様子が変わって太陽のように輝き、服装は白くてつやつやしていた。 イエスの第二回の現れに死から復活される人たちの代表者、モーセはその姿変わりの場に居た。 そして、死なずに天国に移されたエリヤは、イエスの再臨の時に死なずに天国に移され、永遠の命を持つようになる人たちの代表者であった。 弟子たちは恐れと驚きでイエスの素晴らしい威厳のある姿と自分たちを覆っていた雲を見ながら、恐ろしい威厳のある声で神様が、「これは、私の愛する子である。 彼の言うことを聞きなさい」と言うのを聞いた。

出エジプト32章、民数記20:7−12、申命記34:5、列王記下2:11、マルコ9章、ユダ9を参照

目次に戻る



第7章

キリストは裏切られる

次に私は、イエスが弟子たちと一緒に過ぎ越しの晩さんを食べている時まで運ばれた。 自分はサタンにだまされ、キリストの真の弟子の一人だとユダは思い込んでいだ。 しかし、彼の心はいつもこの世のものに向いていた。 ユダはイエスの働きの場に一緒に居たり、その力のあるわざを見たりしたので、イエスは救い主である証拠に圧倒され、認めざるを得なかった。 しかし、彼はお金を愛して、欲深く、ケチだった。 高価な軟こうがイエスの上に注がれた事で腹を立て、文句をつけた。 マリアは自分の主を愛していた。 自分の数多くの罪を赦してくれたし、非常に愛していた兄を死から生に返してくれたので、イエスのためなら高すぎる贈り物はないと思っていた。 その軟こうが貴重で高いほど、自分の救い主に対する感謝の気持ちをはっきり表せると思い、心を込めてささげた。 ユダは自分の欲張りを隠そうと、その軟こうを売ったら代金を貧しい人にあげるのに、と言った。 でも貧しい人の事を心に留めたわけではなかった。 彼は利己的で、貧しい人に配るはずの任された金をよく着服していた。 イエスの暮らしを快適にする必要な物に心を配らず、ただ自分の欲張りを言い訳しようとよく貧しい人の事を口にした。 マリアの気前のよい行為で彼の欲張りの性質は痛烈に非難された。

サタンの誘惑がユダの心に容易に受け入れられるように用意されていた。 ユダヤ人はイエスを憎んでいたが、イエスの知恵のある話を聞くためや、力強いわざを見るために大勢の人が群がった。 彼らはその素晴らしい先生の教えに耳を傾けると心の底まで動かされ、熱心にイエスに従ったので、祭司たちと長老たちの注目が薄くなってしまった。 多くの位の高い指導者たちはイエスを信じたが、会堂から追放されるのを恐れていたから、その信仰を告白しなかった。 祭司たちと長老たちはイエスへの注目をやめさせなければならない、と決めた。 すべての人がイエスを信じるようになるのを恐れていた。 彼らは自分自身の安全を保証するものはないと感じていた。 自分の地位を失うか、イエスを殺すか、この二つの道しかなかった。 殺しても、イエスの偉業を記念している人がまだ生きている。 ラザロはイエスによってよみがえった。 だからイエスを殺しても、ラザロはイエスの偉大な力を証明するのではないか、と恐れていた。 皆、よみがえった人を見るために群がっていたので、ラザロをも殺して、この大騒ぎを静める事を決めた。 それで、もう一度皆を人間の言い伝えや教理に向けさせ、ハッカやヘンルーダの十分の一をささげさせ、自分たちの影響力が取り戻せると思った。 イエスが群集に囲まれ、皆がその話に集中している時に捕らえようとしたら石打ちで殺されるので、イエスが一人にいる時に捕らえる計画に彼らは賛成した。 

ユダは、彼らがどれほどイエスを捕らえたかっていたかを知り、わずかの銀貨で裏切る事を提供した。 お金に対する執着心が自分の主を恨み重なる敵の手に渡すように至った。 サタンは、ユダを通して直接働き、最後の晩さんの感動的な場面の最中にイエスを裏切ろうとたくらんでいた。 その夜イエスが悲しげに、自分のために弟子は皆つまずくと言った。 しかしペテロは強く否定して、皆がイエスのためにつまずいても自分はつまずかないと断言した。 イエスはペテロに、「サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。 しかし、私はあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。 それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言った。 

次に私が見た場面は、イエスが弟子たちと一緒に園にいるところであった。 深い悲しみで、誘惑に陥らないため注意して祈りましょう、とイエスは弟子たちに勧めた。 彼らの信仰は試されるし、期待していた事は外れるので、力を付けるために注意深く見張って、熱心に祈る必要があるとイエスは知っていた。 イエスは涙を流し、叫びながら祈った、「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯を私から取りのけてください。 しかし、私の思いではなく、みこころが成るようにしてください」。 神様の息子はひどく苦しんで祈った。 顔から血のような大粒の汗が出て、地面に落ちた。 天使たちは上を舞いながら、その光景を見下ろしていた。 苦しんでいる神様の息子を力付けるためにたった一人の天使が派遣された。 天国に居る天使たちは自分の冠とハープを投げ落とし、興味深く静かにイエスを見つめた。 天国に喜びがなかった。 彼らは神様の息子を囲みたかったが、指揮官の天使たちはそれを許さなかった。 それは、イエスの裏切られる光景を見ると、彼らがイエスを救い出すのを防ぐためであった。 その計画はもう練られていて、イエスは最後までそれを果たさなければならない。

イエスは祈ってから弟子たちの様子を見に行った。 皆寝ていた。 その恐ろしい時に自分の弟子たちさえ慰めや祈りをしてくれなかった。 ついさっき、あんなに熱心だったペテロは深い眠りについていた。 イエスは先ほどペテロが断言した事に触れ、彼に言った、「眠っているのか。 ひと時も目をさましていることができなかったのか」。 三度も苦しみながら神様の息子は祈った。 するとユダと彼が率いた群集がやって来た。 ユダはいつものようにイエスに挨拶しようとした。 群集がイエスを囲んだが、イエスは、「だれを探しているのか。 私が、それである」と尋ね、その場で自分の神性の力を明らかにした。 彼らは後ずさりして、地面に倒れた。 こう尋ねた理由は、彼らがイエスの力を目撃し、もしその気になればイエスは自分を救い出す事ができる、という証拠を彼らに示すためであった。

棒や剣を持っていた群集があれほど早く倒れるのを見た弟子たちに希望が沸いてきた。 彼らが起き上がり、もう一度イエスを囲もうとしたところ、ペテロが剣を取り、ある(人の)耳を切り落とした。 イエスは剣を収めるようにペテロに命じ、「私が父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか」と聞いた。 イエスがこう言った時に天使たちの表情がいきいきしてきたのを私は見た。 その時、その場で、天使たちは自分の司令長官を囲み、暴徒を解散させたかった。 でもイエスが、「しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」と付け加えたので、彼らは再び悲しみに覆われた。 イエスが連行されるのを許したので、弟子たちは再び落胆して、非常にがっかりしてしまった。

弟子たちは我が身を案じ、あちこち逃げてしまったので、イエスは一人残された。 その時、サタンはどれほど勝ち誇ったか! 神様の天使たちはどれほど悲しんで悲哀を感じたか! 多くの聖なる天使と各部隊の背の高い指揮官の天使はこの光景を目撃するために送られた。 神様の息子に与えられるすべての事、その侮辱や残酷な行為を書き記し、イエスが感じる苦しみを一つ残らず記録する。 なぜなら、それを与える人たちはその場面をもう一度、生きている文字で見なければならない事になっているからである。

マタイ26:1−56、マルコ14:1−52、ルカ22:1−46、ヨハネ11章、12:1−11、18:1−12を参照

目次に戻る



第8章

キリストの裁判

天使たちは各自のキラキラと光る冠を悲しみのなかで脱いで、天国を去った。 司令長官(イエス)が苦しみ、いばらの冠をかぶろうとしている時に、自分たちの冠をかぶる事はできなかった。 サタンと彼の天使たちは裁判所で人間性を壊し、哀れみを無くそうと努めた。 その場の空気は彼らの影響で重く、汚染されていた。 祭司長たちや長老たちは彼らの影響を受け、人間の性質が一番堪え難い方法でイエスをののしったり、虐待したりした。 このような侮辱や苦しみによって神様の息子から不平や不満を引き出すか、あるいはイエスが自分の神性を働かせ、群集の手から逃げる事で、ついに救いの計画は失敗に終わる事がサタンの狙いだった。

自分の主が裏切られてからペテロは付いて行った。 イエスに何が起こるのかをペテロは心配していた。 自分が弟子の一人だと責められたらそれを否定した。 自分の命が取られることを恐れて、弟子の一員である事が指摘されても、「その人は知らない」と強く打ち消した。 弟子たちの言葉遣いは純粋だという評判があったので、ペテロは周りをだますために三回目にはののしりと、口汚い言葉で自分がキリストの弟子ではない事を否定した。 するとペテロから少し離れていたイエスは、悲しげな非難の眼差しで視線をペテロに向けた。 ペテロは、イエスが晩さんの席で言った事、それに自分が、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、私は決してつまずきません」と熱心に断言した事を思い出した。 自分の主をののしりを掛けるほど強く否定したが、イエスの眼差しでペテロの心は直ちに和らげられ、救われた。 そしてペテロは激しく泣き、自分の大きな罪を悔い改めて改心した。 これでペテロは兄弟を力付けるため用意された。

群集は大騒ぎして、イエスの血を求めていた。 残酷にもイエスにむちをあて、王様が着るような紫色の古い着物を着せ、その聖なる頭にいばらの冠をかぶらせた。 その手に葦を持たせ、イエスの前でひざまずきながらおじぎをし、「ユダヤ人の王様、万歳!」とイエスをバカにした。 次に手から葦を取り、それでイエスの頭を打った。 これによっていばらがこめかみを刺して、血が顔からひげにしたたり落ちていた。

天使たちにとって、この光景は堪え難いものだった。 イエスを群集の手から救いたかったが、指揮官の天使たちはそれを許さなかった。 これは人間のために払う大いなる身代金だが、この身代金は完全なものなので、やがて死を支配する者を滅ぼす事になると説明した。 イエスは侮辱されている光景が天使たちに見られている事を知っていた。 一番弱い天使でさえ、その群集を倒し、イエスを救い出す事ができるのを私は見た。 自分の父に願えば、直ちに天使たちに解放してもらう事をイエスは知っていた。 しかし、救いの計画を成し遂げるため、悪い人たちからの苦しみをよく味わわなければならなかった。

そこにイエスは狂った群集から卑劣な虐待を受けながら、へりくだり、おとなしく立っていた。 彼らはイエスの顔につばを掛けた。 神様の街を照らす顔、太陽より強く輝く顔、彼らにはその顔から隠れたくなる日がくる。 でもイエスは彼らに向かって怒った顔付きなどを見せなかった。 ただおとなしく手を上げて、つばをふいた。 彼らはイエスの頭に古着を掛け、目隠しをし、そして顔を打ちながら叫んだ、「言いあててみよ。 打ったのは、だれか」。 天使たちはそこで騒いでいた。 彼らは直ちにイエスを救いたかったが、指揮官の天使たちに抑えられた。

弟子たちは勇気を出して、イエスの居るところに入り、裁判を見た。 彼らはイエスが自分の神性を働かせ、敵の手から自分を救い出し、受けている苦難に応じて仕返しをする事を期待していた。 各場面によってその期待は高まり、また低くなったりしていた。 時には疑って、自分たちはだまされたのではないかと恐れた。 しかし、イエスの姿変わりの際に聞いた声と、そこで目撃した栄光によってイエスは本当に神様の息子であると彼らの信仰が強くなってきた。 彼らはイエスと一緒に居た時にイエスが奇跡を起こして病人をいやしたり、盲人の目を開けたり、耳が聞こえない人の耳をも開けたり、悪霊を叱り、追い出したり、死んだ人をよみがえらせたりした刺激的な場面を思い出した。 イエスが叱ると風さえも従った。 弟子たちはイエスが死ぬなんてとても信じられなかった。 以前のように力強く起き上がり、神殿に入って神の家を市場のような所にした人たちを追い払い、彼らが武器を持つ兵士の中隊に追われるように逃げた時と同じように、その血を求めた群集を権威のある声で解散させる事を弟子たちは期待していた。 イエスが自分の力を現して、自分自身はイスラエルの王である事を皆を納得させる事も弟子たちは望んでいた。

ユダは、イエスを裏切った行為による恥と良心のとがめで胸がいっぱいになった。 イエスが虐待されるのを目撃すると、すっかり参ってしまった。 彼はイエスを愛していたが、お金に対する執着心の方が強かった。 自分が率いていた群集に、イエスは捕らえられるような事を許さないで、奇跡を起こして、彼らの手から自分自身を救うだろうと思っていた。 しかしユダは、裁判の場で激怒した群集がイエスの血を求めているのを見て、良心のとがめを深く感じた。 そして多くの人がイエスを告発している場でユダは、大急ぎでその人込みを割って、「罪のない者を裏切った」と自分の罪を告白した。 その代金を返そうとイエスの完全無罪を断言し、イエスを解放するよう強く頼んだ。 祭司たちはしばらくの間、いらだちと混乱で無言になった。 「イエスの弟子」と自称していた人を雇い、イエスを裏切ってもらった事を群集に知られたくなかった。 イエスを泥棒のように、ひそかに捕らえた事を隠したかった。 しかし、ユダの告白と有罪そうなやつれた顔によって、イエスを捕らえたのは彼らの憎しみからくるものであった事が暴かれた。 ユダが大きな声でイエスの無罪を訴えると、祭司たちは答えた、「それは、我々の知ったことか。 自分で始末するがよい」。 彼らはイエスを手中に収めていたので、その身柄を確保する決意を固めた。 心の苦しみに押しつぶされたユダは、今や憎くなってしまったお金を雇ってくれた人たちの足元に投げつけ、罪の重大さや恐ろしさのあまり出て行って、首をつってしまった。

群集の中には多くの人がイエスを支持していた。 いろいろ問われたが、イエスは何も答えなかったので皆が驚き怪しんだ。 侮辱やあざけりに対して、その表情に不機嫌そうなところはまったく無く、しかめ面もなかった。 イエスは威厳のある姿を保ち、落ち着いていた。 その様子は高貴で、完璧だった。 観衆は不思議そうにイエスを見つめた。 その断固たる高貴で、完璧な様子は、裁判にあたっている支配者たちと比べると、イエスの方が王様らしく、国を託すのにふさわしい者ではないかと互いに言い合っていた。 イエスの人相には犯罪者らしい特徴がなかった。 イエスの目は優しく、澄んで、大胆不敵で、そして額は広くて高い。 慈悲と高潔さが深く彼の容貌に刻まれていた。 イエスの忍耐力と辛抱強さはあまりにも人間を超えていたものなので、多くの人は震え上がった。 領主ヘロデと総督ピラトでさえ、イエスの高貴な神様らしい様子に大いに悩まされた。

ピラトは、最初からイエスは並の人間ではなく、優秀であると確信し、イエスがまったく無罪だと信じていた。 その光景を目撃していた天使たちはピラトがイエスに対して同情や哀れみの心を確信している事に気づき、イエスを十字架に付けるひどい行為の責任から救うためにひとりの天使がピラトの妻へ送られた。 そして夢を通して、ピラトが今裁いている者は神様の息子で、無罪の被害者である事を彼女に教えた。 彼女が直ちに夫の元へ使いをやって、「夢で、イエスのためにひどい目に遭ったからその聖なる方とかかわらないで下さい」と注意した。 その使いは急いで群集をかき分け、妻が書いたものをピラトに渡した。 ピラトはそれを読むと震え上がり、真っ青になってきた。 そしてすぐにこの件とかかわらず、群集がイエスの血を求めても自分は関与しないで、イエスを救い出す事に努力すると決めた。

ヘロデがエルサレムにいると聞いてたピラトは喜んで、イエスの判決と無関係になり、この嫌な件から一切手を切ろうとした。 そこで、イエスを原告側の人たちと一緒にヘロデのもとに送った。 ヘロデは冷酷な人となっていた。 ヨハネを殺害した事によって自分自身では消さない傷が良心に残った。 イエスの事とその素晴らしい活動ぶりを聞いたヘロデは、「ヨハネがよみがえったのではないか」と思った。 やましい心があったから恐怖で震え上がった。 イエスはピラトからヘロデの手に引き渡された。 ピラトがそうしたのでヘロデは自分の権力、威力や判断力が認められたと思った。 その時までこの二人は敵だったが、その場で仲直りをした。 ヘロデは、イエスが何か大きな奇跡を起こして、喜ばせてくれると期待していたのでイエスを見た時喜んだ。 でも好奇心を満足させるのはイエスの仕事ではなかった。 人を救うために持っている神性な力や奇跡的な力を使っても良いが、自分のために使うべきではない。

ヘロデの質問攻めに対してイエスは何も答えなかったし、敵に激しく告発されても気にしなかった。 イエスがヘロデの威力を恐れそうもなかったのでヘロデは自分の兵士たちと一緒に神様の息子をあざけったり、バカにしたり、虐待したりした。 恥をかかされても、虐待されても、イエスは高貴な神様らしい様子を保っていたのでヘロデは驚いて、判決を下すのを恐れ、イエスをピラトのもとに返した。

サタンと彼の天使たちはピラトを誘惑して、彼を自分の破滅に引き入れようとした。 ピラトに、「イエスの判決から手を引いたとしても他の人がやるし、群集はイエスの血を渇望している。 そしてイエスを十字架に掛けるように命じなければ、権力と世の名誉を失い、詐欺師と言われている人の信者と名づけられ、非難されるに違いない」とほのめかした。 それで自分の権力と威力を失うのを恐れたピラトは、イエスの死を承諾した。 イエスの血の責任を告発側に負わせ、その群集がそれを受け、「その血の責任は、我々と我々の子孫の上にかかってもよい」と言ってたが、ピラトには責任があった。 キリストの血の責任を。 彼はこの世の偉い人々からの名誉に対する欲と私利私欲のため、無罪の者を死に引き渡した。 もしピラトが持っていた確信に従っていたら、イエスの有罪判決にかかわる事はしなかった。

イエスの裁判と有罪判決によって多くの人は考えさせられた。 そしてその場で作られた印象は、イエスが復活してから現れるようになる。 後に教会に加わる多くの人の経験はイエスの裁判で始まり、確信がそこで芽生えた。

サタンは祭司長たちをうまく利用して、イエスを虐待した。 でもあれほど虐待されても、イエスは少しも不平をつぶやかなかったので、サタンが激怒した。 イエスが人間の性質を取ったが、神様らしい力と不屈の精神で支えられ、父なる神様の意思に全然反しなかった事を私は見た。

マタイ26:57−75、27:1−31、マルコ14:53−72、15:1−20、ルカ22:47−71、23:1−25、ヨハネ18章、19:1−16を参照

目次に戻る



第9章

キリストのはりつけ

神様の息子は十字架につけられるために群集に引き渡され、その愛しい救い主は連行された。 受けた殴打やむち打ちの痛みと苦しみによって弱り果て、衰弱していた。 それでも彼らは、もうすぐイエスをはりつけにする重い十字架をイエスに背負わせようとした。 しかし、その荷が重くて、イエスは気絶した。 三度イエスにその重い十字架を背負わせようとしたが、イエスが三度とも気絶してしまった。 そこでイエスの信者の一人を捕まえた。 彼はイエスを信じていたが、まだ信仰を告白していなかった。 そこで彼に十字架を背負わせた。 そして彼がそれを運命の場所まで運んだ。 その場所の空中に、天使の部隊が整列していた。 「どくろ」というところまで何人かの弟子が悲しみ泣きながらイエスに付いて行った。 イエスが勝ち誇って、(ろばに乗って)エルサレムに入った事を思い出した。 その時イエスに付いて行き、上着を道に敷き、美しいヤシの木の枝を取ってこう叫んだ、「いと高き所に、ホサナ」。 彼らはイエスがその場で国を受け取り、この世的にイスラエルの君主になって、この国を統治すると思っていた。 どれほど状況が変わった事か! 彼らの希望はどれほどくじかれたか! 以前のようにいきいきして、希望に満ちた心でイエスに従う事ができなかった。 今は恐怖と絶望感に取り付かれながら弟子たちは、侮辱を受け、卑しめられ、死にゆく者に悲しくゆっくりと付いて行った。

イエスの母はそこにいた。 自分の子をかわいがる母親にしか感じられない苦悩に胸が刺されていた。 苦悩に取り付かれた心にはまだ、息子が何か大きな奇跡を起こし、人殺しの手から自分自身を救い出すのを弟子たちと同じく、期待するところがあった。 自分の息子がはりつけの刑に服従するという思いに耐えられなかった。 でも準備ができて、十字架にイエスを横にして置いた。 ハンマーと釘が持って来られた。 弟子たちは気が遠くなった。 お母さんも堪え難い苦しみに襲われた。 イエスを十字架の上に伸ばして、その木製の十字架の横棒に残虐な釘でイエスの両手を留めようとした。 釘が柔らかい手と足の筋肉や骨に「がちゃん」と打ち込まれる音をイエスの母に聞かせないため、弟子たちは彼女をその場から運びだした。 イエスはあまりの苦悶にうめき声を出したが、不平は言わなかった。 彼の顔は真っ青で、額に大粒の汗が出た。 神様の息子を苦しませる事でサタンは大変喜んだと同時に、自分の国は滅び、自分は死ななければならないのではないかと恐れていた。

十字架にイエスを釘で打ち付けてからその十字架を持ち上げ、前もって用意したところに力強く突き立てた。 肉を裂き、強烈な痛みを与えた。 彼らはできるだけ恥をかく死に方を与えようとした。 イエスの両側に泥棒を一人づつはりつけた。 その二人とも懸命に抵抗し続けたあげく、無理やりに腕が押さえ付けられ、それぞれの十字架に釘で打ち付けられた。 でもイエスはおとなしく服従した。 その腕を十字架に押さえ付ける必要はなかった。 泥棒たちが死刑執行人をののしった時にイエスは、苦しみながら敵のために、「父よ、彼らをおゆるしください。 彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と祈った。 イエスは肉体的の苦しみだけを耐えたのではなく、全世界の罪をも負っていた。

イエスが十字架に掛けられている間、通りかかった人の何人かは頭を振りながら王様に対してするようなおじぎをしながら、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。 もし神の子なら、自分を救え。 そして十字架からおりてこい」とののしった。 荒野で悪魔も同じ言葉を使って、イエスに、「もし神の子なら」と言った。 祭司長たち、長老たちや律法学者たちがあざけって言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。 あれがイスラエルの王なのだ。 いま十字架からおりてみよ。 そうしたら信じよう」。 その場の空中で舞っていた天使たちは、イエスが「もし神の息子なら、自分を救え」とバカにされたのを聞いて、憤慨した。 彼らは直ちにイエスを救助しに行きたかったが、許されなかった。 イエスの任務の目的は達成されようとしていた。 何時間も十字架に掛けられても、ひどく苦しんでも、イエスは自分の母親のことを忘れなかった。 彼女は苦しみにあふれた場面から離れられなかった。 いたわりと人情がイエスの最後の教訓だった。 悲嘆に暮れた母を見てから、愛する弟子の方に視線を向けた。 イエスは母に向かって言った、「婦人よ、ごらんなさい。 これはあなたの子です」。 そしてヨハネに、「ごらんなさい。 これはあなたの母です」と言った。 そしてヨハネはその時から彼女を自分の家に引き取った。

ひどく苦しんだイエスは、のどの渇きを覚えた。 しかし、ここでも彼らは侮辱を重ね、酢と苦いものをイエスに飲ませた。 愛する司令長官のはりつけられる光景を見るのが我慢できなくなり、天使たちは顔を覆った。 太陽も、その恐ろしい光景を見るのを拒んだ。 イエスは、「すべてが終った」と大声で叫んで、人殺しをぞっとさせた。 すると神殿の幕が上から下まで裂け、地が揺れ動き、岩が裂けた。 地面は真っ暗やみに包まれた。 イエスが死ぬと弟子たちの最後の望みもぬぐい去られそうだった。 多くの信者はイエスの苦しみと死の光景を目撃して、悲しみの杯がいっぱいになってしまった。 

その時、サタンは以前のように喜ばなかった。 救いの計画をめちゃくちゃにしてやりたかったが、その計画はよく練られていた。 イエスの死によって自分はいつか死んで、そして自分の国は取りあげられ、イエスに渡さなければならない事を悟った。 そこで自分の天使たちと会議を開いた。 サタンにはイエスに対して勝るところがなかったので、皆はもっと努力して、悪賢さや力をイエスの信者に向けなければならない。 信者がイエスの買い取った救いを受け取らないように手を尽くして、それをじゃましなければならない。 こうすることによって、サタンはまだ神様の統治に反抗を続けるようになる。 その上、できるだけ多くの人にイエスを受け入れさせないようにする事は自分のためにもなる。 なぜなら、イエスの血によって償われた人々は打ち勝ち、犯した罪は最終的に罪の創始者である悪魔に戻され、彼はそれらを負わなければならない。 しかし、イエスを通して救いを受け入れない人は自分の犯した罪を自分自身で負う事になる。

イエスの人生は華やかなぜいたくなものではなかった。 そのへりくだった、自制心のある人生は、世の名誉と安楽を追及していた祭司たちや長老たちの人生と対照的だった。 イエスの厳格な聖なる暮らしぶりによって、彼らは自分の罪のために絶え間なく責められていた。 彼らはイエスのへりくだりと純粋さを軽蔑した。 しかし、イエスを軽蔑した者は、イエスが天国の壮大さとお父さんである神様の比類のない栄光に包まれる姿を見る時がくる。 裁判の場でイエスは自分の血を渇望していた敵に囲まれた。 無情にも、「その血の責任は、我々と我々の子孫の上にかかってもよい」と叫んだ者は、イエスの誉れ高い王様である姿を見る事になる。 天国にいる者は皆勝利と威厳と権力の歌を歌いながら、殺されたが、再び生きている力強い征服者であるイエス・キリストを護衛する事になる。 人間、弱く卑劣で、惨めな人間が栄光の王の顔につばをかけると、群集からその卑劣な侮辱に対する残忍な勝利の叫びがあがった。 その顔を残酷に殴り、傷を負わせ、天国にいる者を皆驚嘆させた。 しかし彼らはもう一度その顔を見る。 その時、真昼の太陽のようにまぶしく輝く顔から逃げたくなる。 彼らは残忍な勝利の叫びをあげるどころか、恐怖のあまり泣きわめく。 そしてイエスは、両手にあるはりつけの跡を見せる。 イエスの体にこの虐待の跡は永遠に残る。 釘跡の細部までも人間の救いの素晴らしさとその救いの高貴な代価を物語るようになる。 命の主の脇にやりを突き刺した人、まさにその人はやりの跡を見て、イエスの体を傷つけた役目を苦悶の中で深く嘆き悲しむ。 イエスを殺した人たちは、イエスの頭の上に掲げられた書、「ユダヤ人の王」に対して非常に腹を立てた。 しかし、その(イエスがやって来る)時、イエスが栄光と王の権力を持つ姿を見ざるを得ない上、イエスの服と太ももに生きる文字で書かれている、「王の王、主の主」を見る事になる。 イエスが十字架に掛けられた時に、「イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。 それを見たら信じよう」とイエスをバカにして叫んだ。 でもその時、王の権力と権威を持つキリストを見る。 見るとイエスはイスラエルの王様である証拠を要求しないで、イエスの威厳さや素晴らしい栄光を感じ、圧倒され、「主の名によってきたるものに、祝福あれ」と認めざるを得ない事になる。

地面が揺れ、岩が裂け、暗やみが地面を覆い、そしてイエスは力強く大きな声で「完了した!」と叫び、自分の命を明け渡した事によって敵は悩まされ、人殺したちは震え上がった。 弟子たちはこの特異な現象を不思議がっていたが、望みが完全につぶされてしまった。 自分たちもユダヤ人に殺されてしまうのではないかと心配していた。 神様の息子に対する憎しみがあれほど激しかったので、そこで終わらないだろうと思っていた。 彼らは失望して、何時間も寂しく悲しみながら泣き続けた。 イエスがこの世の君主として支配するだろうと期待したが、その期待はイエスの死と共に消えてしまった。 悲しみと失望のどん底の中、イエスにだまされたのではないかと疑った。 母でさえ面目を失って、イエスは本当に救い主であるかと思い、信仰が揺らいだ。

イエスに対して失望したにもかかわらず、弟子たちはまだイエスを愛した。 その遺体を大切にして、敬意を表そうとしたが、どうやって遺体が受け取れるのか分からなかった。 影響力を持ち、地位高い議員のアリマタヤのヨセフはイエスの本当の弟子の一人であった。 彼は勇気を出しながらも密かにピラトの所へ行って、イエスの遺体をくれるよう懇願した。 ユダヤ人の憎しみが激しかったので、もしイエスの遺体にふさわしい墓に収めようとしたら、妨げられるのではないかと弟子たちは思ったので、ヨセフは公に行くのを恐れた。 しかしピラトは許可を与えた。 彼らはイエスの遺体を取り下ろした時にまた悲しみに襲われ、絶望感にさいなまれた。 高級な亜麻布でイエスを巻いてから、ヨセフが自分の新しい墓にイエスの遺体を横たえた。 イエスの遺体が敵に盗まれないように、まだ生きている間彼に従っていた謙遜な女性達は、イエスが死んでも遠く離れず、その聖なる遺体が墓に収められ、非常に重い石が墓の入口に転がされるまで別れを惜しんだ。 でもそんな心配は必要なかった。 天使の大勢は言うに言われない程の興味を持ち、イエスの収められた場所を見詰めているのを私は見た。 その墓を警備して、「栄光の王を監獄から解放せよ」という命令を首を長くして待ち、それぞれの役割を果たしたかっていた。

イエスを殺した人たちは、イエスが復活して、逃げるのではないかと恐れた。 そこで彼らは三日目まで墓の番をするよう、とピラトに強く求めた。 ピラトは武器を持つ兵士を与え、弟子たちがイエスの遺体を盗んで、「イエスはよみがえった!」と言わせないため、墓の入口の石を封印して、準備するように命じた。

マタイ21:1−11、27:32−66、マルコ15:21−47、ルカ23:26−56、ヨハネ19:17−42、黙示録19:11−16を参照

10章 キリストの復活 ヘ進む
トップに戻る
目次に戻る


(C)著作権2001年。コピーは自由。 Copyright 2001. Free to copy.