各グループを覆っていた素晴らしい光を受け入れた人は誰でも啓発された。 暗やみにいる人の何人かは喜んでその光を受け入れた。 他の人は天国からの光を、「我々を惑わすための詐欺だ」と言って反対した。 そうすると光は移り、彼らを暗やみに残した。 イエスからの光を受け入れた人たちは、与えられた貴重な光の増加を大事にして、喜んだ。 彼らの顔が明るくなり、聖なる喜びで光っていた。 そして熱心に上の方、イエスの方に視線を向け、声をその天使と合わせ、こう言うのが聞こえた、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。 神のさばきの時がきたからである」。 声を上げると暗やみにいる人たちは脇や肩で彼らを強く押している様子を私は見た。 そうすると聖なる光を大事にした人の多くは縛られていた縄を切って、各グループから出て行って、離れたところで立った。 多くの人が縛られていた縄を切っている最中、各グループに属する尊敬された人たちはグループの中を巡回していた。 ある人は優しい言葉で、またある人は怖い目つきや脅迫的な身ぶりで緩んできた縄をしっかり結び、絶えずに、「神様は私たちと共にいる。 私たちは光の中に立って、真理を持っている」と言い続けた。 「こういう人たちは誰ですか」と私が尋ねた。 すると、「彼らは光を拒んだ牧師やリーダーたちで、他の人が光を受け入れるのを許さない者だ」と答えてくれた。 光を大事にした人たちは興味深く熱心に上の方を見つめ、イエスのやって来る事とイエスのところに引き上げられる事とを期待しているのを私は見た。 でもすぐ、光の中に喜んでいた人たちは雲に覆われ、顔が悲しそうになってきた。 そこで私は、「この雲の原因は?」と尋ねると、「それは彼らの失望だ」と教えてくれた。 自分の救い主を期待した時点が過ぎ去ったのに、イエスがやって来なかった。 失望感が彼らを覆っていたと対照的に、私が先ほど見た牧師やリーダーたちは大喜びした。 光を拒んだ人たちは大いに勝ち誇った時、サタンと彼の悪天使たちもその周りで大変喜んでいた。
その後、もうひとりの天使の声が、「バビロンは倒れた! 倒れた!」と言うのを私は聞いた。 失望した人たちは光に当たると、もう一度イエスを見つめ、現れるのを熱望するようになってきた。 次に、何人かの天使が、先、「バビロンは倒れた! 倒れた!」と叫んだ第二の天使と話し合っているのを私は見た。 この天使たちは第二の天使と一緒に声を張り上げ、「さぁ、花婿だ、迎えに出なさい!」と叫んだ。 至る所に彼らの声が音楽のように響いたようだった。 与えられた光を大事にした人たちの周りに非常にきれいな、まぶしい光があった。 顔が素晴らしい栄光で光りながら、彼らは天使たちと声を合わせて、「さぁ、花婿だ!」と言った。 各グループの中から彼らが合唱して声を張り上げていくと、光を拒んだ人たちは怒った顔つきで彼らを押したり、軽蔑したり、あざけったりした。 こう迫害された人たちにサタンと彼の天使たちは自分の暗やみを押し付けようと努力して、天国からの光を拒ませようとした。 でも神様の天使たちは彼らの上でゆっくりと翼をはばたき続けた。
次に、バカにされたり、押さえられたりしていた人たちに、「彼らの間から出て行き、汚れたものに触れてはならない」と言う声があるのを私は聞いた。 すると多くの人は縛られていた縄を切り、その声の言う通りに暗やみにいる人たちと離れ、先に縄を切った人たちに加わって、喜んで声を合わせた。 まだ暗やみにいる各グループの中、少数に残った人から真剣で苦しそうな祈りの声を私は聞いた。 牧師やリーダーたちは、各グループを回り、縄を更にしっかり締めていた。 それでもまだこの真剣な祈りの声が聞こえた。 次に、祈っていた人たちは、神様を喜びとし、団結した自由なグループの方に手を伸ばして、助けを求めた事を私は見た。 すると彼らは、天国の方を見つめながら上を指差して、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ」と答えた。 自由を求めた個々の人がやっとの事で縛られていた縄を切ったのを私は見た。 縄をもっとしっかり締めようとしている人たちには対抗され、「神様は私たちと共にいる。 私たちは真理を持っている」と何度言われても、彼らは耳を貸さなかった。 暗やみにいる各グループから人が次々と離れ、地球の上に浮かんだ広々とした野原のような所にいる自由なグループに加わった。 彼らは上の方に視線を向け、神様の栄光で覆われながら神様を褒めたたえた。 皆は天国の光に包まれたようで、団結していた。 このグループの周りに光の影響を受けた人が数人いたが、別にこのグループと団結したわけではなかった。 与えられた光を大事にした人は皆、興味深く上の方を見つめていた。 イエスは快く彼らを見て、認めた。 彼らはイエスのやって来るのを期待して、その出現を首を長くして待っていた。 一度も名残惜しそうに地球を見たりはしなかった。 またしても雲が待っている人たちの上に現れるのを私は見た。 彼らが疲れた目つきで視線を下の方に向けるのを私は見た。 「どうしてこう変わったですか」と私が尋ねると、付き添いの天使は、「彼らの期待していた事が起こらなかったから失望してしまった。 イエスはまだ地球にやって来られない。 彼らはイエスのために苦しみ続け、もっと大きな試練を通らなければならない。 人間から受け継いだ過ちやしきたりを捨て、神様と神様の言葉に完全に従わないといけない。 彼らは試され、白くされ、清められなければならない。 そして、その強烈な試練に耐える人は永久の勝利を得る」と答えてくれた。
「イエスは地球を浄化するためにやって来て、火で聖所を清める」と喜びをもって待っていたグループが期待したが、イエスは地球に来なかった。 彼らが計算した預言の期間は正しかった事を私は見た。 1844年に預言時間が終わった。 聖所についての解釈と、その清めかたの解釈に問題があった。 確かにイエスはその期間が終わると聖所を清めるため一番聖なる部屋、至聖所、に入った。 私はもう一度、あの待っている、がっかりしたグループを見た。 彼らは悲しそうだった。 信仰の証明を綿密に調べ、預言の期間の計算を順に追って調べても、間違っているところは見付からなかった。 その期間は成就したのに、彼らの救い主はどこにいる? どこにいるのか、まったく分からなくなってしまった。
次に、イエスの弟子たちが墓に行って見ても、イエスの遺体が見付からなかったので失望した事は私に示された。 マリヤは、「だれかが、私の主を取り去りました。 そして、どこに置いたのか、分からないのです」と言った。 悲しんでいる弟子たちに、「あなたたちの主はよみがえった。 先にガリラヤに行く」と天使たちは教えた。
イエスが(1844年に)失望した人たちを哀れみ深い目で見た事を私は見た。 そして今、自分はどこに居るのか彼らが見付け、付いて行けるために天使たちを送った。 自分が移動した事や、地球は聖所ではない事、それに天国の聖所を清めるため至聖所に入らないといけない事を理解してもらう目的があった。 更に、自分がイスラエルのために特別なあがないをし、自分の父親から王国を受けてから地球に戻って、永遠に一緒に住めるため彼らを連れて帰って行く事を理解してもらう目的もあった。 弟子たちの失望は1844年に自分の主を期待していた人たちの失望をよく表している。 イエスが(子ロバに)乗って、勝ち誇ってエルサレムに入った時代まで私はさかのぼって運ばれた。 その場でイエスが王国を受け取り、君主としてこの世を治め始める、と弟子たちは信じ、意気揚々と自分の王様に付いて行った。 きれいなヤシの木の枝を切ったり、快く上着を脱いで熱心に道に敷いたりして、ある人は前の方に、ある人は後ろの方に付いて行って、「ダビデの子に、ホサナ。 主の御名によってきたる者に、祝福あれ。 いと高き所に、ホサナ」と叫んだ。 この大騒ぎがパリサイ人の気に障って、イエスに弟子たちを叱ってもらいたかった。 でもイエスは彼らに向かって、「もしこの人たちが黙れば、石が直ちに叫ぶであろう」と言った。 ゼカリヤ書9章9節の預言は実現しなければならないが、弟子たちは絶望する運命づけられた事を私は見た。 数日後彼らは、イエスがはりつけにされる場所まで付いて行き、あのひどい十字架の上にイエスの血まみれで、むごい姿を眺めた。 そのひどく苦しい死にかたを目撃してからイエスを墓に収め、悲嘆にくれた。 彼らが期待していた事は一つも実現されなかった。 イエスが死ぬと彼らの希望も没してしまった。 しかし、イエスが死からよみがえり、悲しんでいた弟子たちに姿を現すと、彼らの希望は生き返った。 自分の救い主を見失っていたが、再び見付けた。
主が1844年にやって来ると信じた人たちの失望は、弟子たちの失望ほどひどいものではなかった。 第一と第二の天使のメッセージによって預言された事は成就した。 両方ともちょうど良い時に伝えられ、神様の計画通りの結果をもたらした。
サタンと彼の天使たちは少しでも多くの人の心を光から遠ざけさせようと躍起になった。 光を受け入れなかったグループは暗やみに取り残された。 天国からのメッセージが伝えられると、「神様を信じる」と告白した人々がそれぞれどんな人格を形成するのか、先の天使が強い関心をもって記録しているのを私は見た。 「私はイエスを愛している」と主張したたくさんの人が天国からのメッセージを嫌って、あざけったり、バカにしたりすると、紙を手に持っていた天使はその恥ずべき事を記録した。 「イエスを信じる」と自称した人たちがイエスを侮辱したので、天国にいる者は皆憤慨した。
(主を)信用した人たちが失望してしまった事を私は見た。 期待していた時に自分の主が現れなかった。 将来を隠し、自分の民が決心しなければならない立場に立たされるのが神様の計画だった。 もしこの預言された時点がなかったら、神様が計画した運動の目的は達成されなかった。 サタンはたくさんの人の関心を遠い将来に導こうとしていた。 キリストの現れの時点が宣言されたら、今、自分自身がどう準備すれば良いのか、真剣に考えなければならない。 預言された時点が過ぎ去ると、その天使の光を全面的に受け入れなかった者は、天国からのメッセージを軽蔑した人たちに加わり、失望した人たちに刃向かってバカにした。 天国で天使たちがイエスと相談している様子を私は見た。 彼らは、「キリストの信者」と言われた人たちの状態を記録しておいた。 はっきりとした時点が過ぎ去る事によって信者たちが試され、はかりに掛けられると多くの者は、「足りない」と判断された。 そういう人は皆大きい声で、「私たちはクリスチャンだ!」と主張したが、ほぼ全部の面でキリストに従わなかった。 「キリストの信者」と言われた人たちがこういう状態にあったので、サタンは大変喜んだ。 自分が作ったわなに彼らは掛かった。 大半の人はまっすぐな道から逸れるようにサタンに導かれ、自分なりの道で天国に登ろうとしていた。 シオンにいる罪人やこの世を愛している偽善者と一緒に、清く、聖なる純粋な人たちが混合しているのを天使たちは見た。 彼らがイエスを本当に愛した人たちを見守ったが、堕落した人たちは聖なる人たちに悪い影響を与えていた。
熱心で、イエスを見たくてむずむずしていた人たちが、兄弟と称する人々にイエスのやって来る事について話すのは許されなかった。 天使たちはその光景を全部見渡して、イエスの現れを心から願っていた少数残っている人たちに同情した。 そこで、もうひとりの力強い天使が地球に降りるよう、任命された。 イエスがその天使に書き物を手渡した。 そして彼が地球に近付くと大声で、「バビロンは倒れた! 倒れた!」と叫んだ。 そうすると失望した人たちには再び元気が出て、天国の方に見上げ、信仰と希望を持って自分の主の現れを期待するようになってきた事を私は見た。 しかし、多くの人は寝ぼけて、間の抜けたような状態を続けた。 でもこういう人たちの表情に深い悲しみもあった事を私は見た。 失望した人たちは、自分は今、「待つ期間」の中にいるので、幻が成就されるまで忍耐強く待たなければならない事を聖書を通して分かった。 自分の主が1843年にやって来るという証拠が1844年に同じような期待をもたらした。 大半の人が1843年に持っていたような強い信仰を1844年に持っていなかった事を私は見た。 彼らの失望が信仰に水を差した。 しかし、失望した人たちが第二の天使の叫びに加わると、天国にいる者は皆興味津々に見て、そのメッセージの効果を書き留めた。 「クリスチャン」と言われた人たちが失望した者に刃向かって、あざけったり、軽蔑したりするのを天国にいる者は皆見た。 こういった人たちの口から、「おまえら、まだ昇ってないのか!」という言葉が出ると、ある天使がそれを書いた。 あの天使が、「彼らは神様をバカにしている」と言った。
時代をさかのぼって、エリヤが生きたままで天国に移された事は私に示された。 彼のマントがエリシャに落ち、そして悪い子供たちは付いて行って、大声で、「上って来い、はげ頭。 上って来い、はげ頭」と彼をバカにした。 神様をバカにしたので彼らはそこで罰を受けた。 彼らはそういう口を両親から習った。 同じく、聖人たちの昇るのをあざけったり、バカにしたりした人は神様からの災害に見舞われると、神様はただ者ではない事が分かってくるはず。
イエスは他の天使たちを任命して、自分の民の信仰に熱を入れ、第二の天使のメッセージが理解できる準備をする事、それに天国での重要な移動がもうすぐ行なわれる事を知らせるため、急いで飛んで行くように命じた。 この天使たちはイエスに強い力や光をもらって、第二の天使の働きを手伝う任務を果たすため、素早く地球に飛んで行くのを私は見た。 天使たちが、「さぁ、花婿だ、迎えに出なさい」と叫ぶと、神様の民には強い光が当たった。 その時、失望した人たちが起き上がって、第二の天使の声に合わせ、「さぁ、花婿だ、迎えに出なさい」と宣言するのを私は見た。 天使たちの光は暗やみの至る所を貫いて照らした。 サタンと彼の天使たちは、その光の広まりや計画された効果をじゃましようと努めた。 彼らは神様の天使たちと言い争って、神様が人々をだましたので、いくら力や光があっても、イエスのやって来る事を納得させるのは、「無理だ」と言った。 でもサタンがじゃましようとしても、人の心を光からそらせようとしても、神様の天使たちは働き続けた。 その光を受け入れた人たちは幸せそうだった。 ひたすら視線を天の方に向け、イエスの現れを首を長くして待っていた。 何人かはひどく苦しんで、泣いたり、祈ったりしていた。 目は自分自身をじっと見ていたようで、彼らにはあえて上を見上げる勇気がなかった。
天国から貴重な光が彼らの周りの暗やみを追い払うと、絶望的に自分を見つめていた目は上の方に向けられ、表情の細部までが感謝や聖なる喜びで満たされていた。 イエスと天使たちは皆、待っている忠実な人たちを快く見た。
第一の天使のメッセージの光に反対して拒んだ人たちは、第二の天使のメッセージの光を見失って、「さぁ、花婿だ」というメッセージに伴う栄光や力の恩恵を受ける事ができなかった。 イエスはまゆをひそめて、顔を彼らから背けた。 イエスは彼らに軽蔑され、拒まれた。 (でも)そのメッセージを受け入れた人たちは栄光の雲に包まれていた。 神様の心を見定めるため、彼らは祈ったり、見張ったり、待ったりしていた。 神様の心にかなわない事をしてしまうのを大変恐れていた。 サタンと彼の天使たちはこの神聖な光が神様の民に届かないよう努めているのを私が見たが、待っている人たちが光を大事にして、視線を地球から上の方、イエスの方に向ける限り、サタンはこの貴重な光を奪う事ができなかった。 天国からのメッセージでサタンと彼の天使たちは激怒した。 「イエスを愛している」と言いながらイエスのやって来る事を嫌がった人たちは、イエスを信頼する忠実な人たちをあざけったり、軽蔑したりした。 しかし、天使は、忠実な人たちが「兄弟」と自称した人たちから受けた侮辱、悪口や迫害を逐一書き記した。 たくさんの人は声を上げ、「さぁ、花婿だ」と叫んだ。 そしてイエスの出現を嫌で、再臨についてあまり話すのを許さなかった「兄弟」から離れた。 イエスは、自分のやって来る事を嫌で拒んだ人たちから顔を背けた。 そして自分の民が汚染されないため清くない人の中から導き出すよう天使たちに指示した。 するとメッセージに従う人たちは出て、団結して、自由な身になった。 聖なる素晴らしい光が彼らを照らした。 彼らはこの世に対する愛着を引き裂き、自分なりの計画などを犠牲にして、この世を放棄した。 この世の宝物を手放し、愛する救い主を見るのを期待して、真剣に天国の方に視線を向けた。 聖なる光と喜びで光った表情が心の平和と喜びを物語った。 彼らが試練に会う時が近付いてきたので、イエスは天使たちに、「行って、彼らを強めてあげるよう」と指示した。 こう待っていた人たちは受けるべき試練をまだ通っていない事を私は見た。 まだ完全に過ちから離れていなかった。 地球の人々に警告を送り、何回もある時点に至らせるメッセージを送った事には神様の慈悲や善良さがある事を私は見た。 これで彼らは自分自身を綿密に調べ、異教徒やローマ教皇の者から伝承されてきた過ちを脱ぎ捨てるように導かれた。 これらのメッセージを通して神様は自分の民のためにもっと力を発揮する事ができ、自分の戒めをみな守れるようになるため彼らを導き出してきている。
次に、1844年に預言された期間が終わると、天国で何が起こったかが私に示された。 イエスが聖所の第一の部屋での仕事を終えると、そこの部屋のドアを閉めたのを私は見た。 そのドアが閉まると、「キリストがやって来る」というメッセージを聞いても拒んだ人たちは真っ暗やみに覆われ、イエスが見えなくなった事も私は見た。 そしてイエスは高価な服を身に着けた。 そのローブのすその回りに、鈴、ザクロ、鈴、ザクロがあった。 肩から珍しい作りの胸当てが吊られていた。 イエスが動くと、その胸当てに書かれたか彫られたか、名前みたいな文字が大きく見え、ダイヤモンドのようにきらきら光った。 頭に王冠らしいものをかぶっていて、身支度が整ってからイエスは天使たちに囲まれながら燃えている車に乗って、二番目の幕の向こうに通った。 その時私は、天国の聖所の二つの部屋を注目するように指示された。 そのカーテンかドアみたいなものを開けてくれて、私が入るのは許された。 第一の部屋に七つのともしびを持つ豪華な輝かしい燭台と、あがないのパンが載っているテーブルと、香壇や吊り香炉が見えた。 この部屋の家具は全部最高級の純金のように見え、そこに入る者の姿を映した。 この二つの部屋を仕切るカーテンは輝いていて、素晴らしかった。 いろんな素材や色からなっていて、縁飾りに美しい天使を表している金でできたものがあった。 そのカーテンを上げてくれたので第二の部屋の中を見た。 そこに最高級の純金でできたように見えた契約の箱があった。 その上面の縁には王冠を表している大変美しい純金でできたものがあった。 契約の箱の中に十戒が刻まれた石版があった。 そして両端に美しいケルブが翼を広げ、箱を覆っていた。 ふたりの翼は高く上に伸び、箱の前に立っていたイエスの頭の上で触れ合った。 そのふたりは互いに向き合っていて、視線を下の契約の箱に向けていた。 それは天使が皆、興味を持って、神様の戒めを見ている事を意味する。 そのケルブの間に金の香炉があった。 そして、聖人たちの信仰のこもった祈りがイエスに届いて、イエスがそれを自分の父にささげると、香から甘い香りが立った。 それは色とりどりの大変美しい煙のように見えた。 契約の箱の前に立っていたイエスの上に非常にまぶしい栄光があったが、私は直接それを見る事ができなかった。 そのものは神様が住んでいる王座のように見えた。 香が父なる神様のところに上っていくと、王座から素晴らしい栄光がイエスに送られ、そしてイエスから甘い香りのように上って来る祈りをする人たちに送られた。 光や栄光が豊かにイエスに注がれ、「あがないのふた」を覆った。 宮がその栄光の列でいっぱいになってきたので、私は長く見続けられなかった。 言葉ではそれが言い表せない。 私は圧倒され、栄光の壮大さや素晴らしさから向きを変えざるを得なかった。
地上に二つの部屋がある聖所は私に示された。 これは天国にある聖所に似ていた。 この聖所は天国の聖所を模範している「地上の聖所」であると私に教えてくれた。 地上の聖所の第一の部屋にあった家具は天国の聖所の第一の部屋にある家具に似ていた。 カーテンを上げてくれたので、私は至聖所の中を見た。 そこの家具は天国の聖所の至聖所にある家具と同様であった。 祭司は、地上の聖所の両部屋で務めた。 第一の部屋で一年を通して毎日務めたが、祭司は年に一度だけ至聖所に運ばれてきた罪を清めるために至聖所に入った。 イエスが天国の聖所の両部屋で務めた事を私は見た。 自分の血をささげた事を通して、イエスは天国の聖所に入った。 地上の聖所の祭司たちは死で長く務められなかったのに対して、イエスは「永遠の祭司」である事を私は見た。 地上の聖所に持って行くいけにえやささげものを通して、イスラエルの民は、将来にやって来る救い主の値打ちを自分のものとする仕組みになっていた。 私たちは振り返り、イエスが天国の聖所で何をしているのかを理解するため、地上の聖所の務めが詳細に渡って教えられた。 ここに神様の知恵がある。
イエスが丘の上で十字架に付けられて死んだ時、「完了した!」と大声で言うと、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 これによって神様は、もう地上の聖所で祭司たちと会わない、彼らのいけにえを受け入れない、それに聖所での務めは永遠に廃止された事を表した。 その時、イエス自身が天国の聖所の務めに使う血が、自分の血が、流された。 地上の聖所を清めるために祭司が年に一度至聖所に入ったように、1844年にダニエル書8章14節の2,300日が終わると、イエスは天国の聖所の至聖所に入った。 イエスは、自分の仲裁の恩恵が受けられる人を皆に最後のあがないをするためと、聖所を清めるため、至聖所に入った。
イエスが至聖所のドアを開けてから、安息日に当たる光が見えるようになってきた。 神様の法律を守るかどうか、イスラエル人が昔、神様に試されたように、現在、神様の民は試される。 第三の天使が失望した人たちに上の方、天国の聖所の一番聖なるところへの道を指示しているのを私は見た。 そこで彼らは信仰上、イエスに付いて行って、至聖所に入った。 そして再びイエスを見付けると、また喜びや望みが沸いてくる。 彼らがイエスの再臨を宣言してから1844年に預言の期間が切れるまで経験した事を振り返っている様子を私は見た。 彼らは失望した原因を納得したので、喜びや確信を抱くようになり、再び活発になる。 第三の天使が過去、現在、や将来に光を当ててくれたので、自分たちは不思議な摂理で本当に神様に導かれてきた事が分かる。
少数残っている人たちはイエスに従って至聖所に入り、そこで契約の箱と「あがないのふた」の栄光にうっとりした、というふうに私に示された。 イエスは契約の箱のふたを開けると、ほら、見て御覧! そこには十戒が書かれている石板があるではないか。 彼らは生き生きしている神託を順番にたどるが、十項の聖なる戒めの中に四番目が生きているのを見ると、震えながら後ろへ跳びのく。 四番目に他の九つよりも明るい光が当たって、それに栄光の光輪がその周りを照らしている。 そこで安息日が週の最初の日に変わったり、廃止されたりした事を説明するものは見付からない。 神様が山の上で稲光と雷の中、厳粛な壮麗さで自分の口で語った通り、そして自分の聖なる指で石板に書いた通り今でも、「六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である」と書かれている。 彼らは十戒の保護ぶりを見ると驚く。 十戒がエホバの近くに置かれ、エホバの神聖さに覆われ、保護されている事も見える。 十戒の四番目の戒めを踏みにじり、エホバに聖別された日を守らないで、異教人やローマ教皇の人たちに伝わってきた日を守ってしまった事に気付く。 そこで彼らは、神様の前にへりくだり、自分が犯してきた罪のため悲しむ。
イエスが彼らの告白や祈りを自分の父にささげると、吊り香炉の香から煙が出るのを私は見た。 煙が上がると、イエスと「あがないのふた」はまぶしい光に覆われてきた。 そして祈っている熱心な人たちは、神様の法律を犯した事に気付き、困っていたが、その光に祝福されたので、表情が望みと喜びで明るくなってきた。 彼らは第三の天使の働きに加わり、声を上げ、厳粛な警告を宣言した。 最初の頃にメッセージを受け入れた人は少なかったが、彼らは活発に警告を伝え続けた。 次に、多くの人が第三の天使のメッセージを受け入れ、最初に警告を宣言した人たちと声を合わせたのを私は見た。 そして彼らは、神様に聖別された休日を守る事で神様を褒めたたえて、栄光を帰した。
第三のメッセージを受け入れた人の多くは前の二つのメッセージを経験しなかった。 サタンはこれを知ったので、敵意のこもった目つきで彼らを倒そうとした。 でも、第三の天使は彼らに至聖所を指し、それに、前のメッセージを経験した人たちは天国の聖所への道を指示していた。 多くの人は天使たちのメッセージに真理の連鎖の完全性があると悟り、喜んで受け入れた。 彼らはメッセージを順番に受け入れ、そして信仰の上でイエスに従って、天国の聖所に入った。 これらのメッセージは(受け入れた)団体を安定させる「いかり」のようなものである、と私に示された。 一人一人はメッセージを理解し、受け入れると、サタンの数々の迷いから保護される。
1844年の大失望の後、サタンと彼の天使たちは(メッセージを受け入れた)団体の信仰を揺るがせようとわなを仕掛ける事に力を入れた。 サタンは1844年の運動を体験したある人たちの考えに影響を与えた。 彼らは謙虚そうに見えた。 そのうちある人は第一と第二のメッセージを変えて、「未来に実現する」と言った。 またある人は、「遠い昔に実現した」と主張した。 こういう人たちは経験が浅い人の注意をそらせ、信仰を揺るがせた。 ある人たちは団体から独立して、自分なりの信条を作ろうと聖書を調べていた。 これらの事でサタンは大変喜んだ。 サタンは、「いかり」から切り離された人たちを、いろんな過ちと、教えの風で思うままに操る事ができるのを知った。 第一と第二のメッセージの先頭に立っていた人の多くは、両方のメッセージを否定してしまった。 そして分裂と散乱が団体中にあった。 その時、私はウィリアム・ミラーを見た。 彼は当惑しそうに見え、率いていた人たちのために大変悲しんで、心を痛めていた。 ミラーは、1844年に団結を保ち、愛し合っていたグループが同胞愛を失い、互いに対立していくのを見た。 彼らが逆戻りをして、冷たくなってきた状態をも見た。 悲しみのあまり、ミラーの体力が衰えてしまった。 リーダーたちは、ミラーが第三の天使のメッセージや神様の戒めを受け入れるかどうか、心配そうに彼の行動を見張っている事を私は見た。 ミラーが天国からの光に頼ろうとすると、彼らは何かをたくらんで、注意をそらせようとした。 ミラーの持っていた勢力を保有して、心を暗やみに引き留めるために彼らが人間的な影響を与えた事を私は見た。 そしてついに、ミラーは天国からの光に対して反対の声を上げてしまった。 自分が失望した理由を全部説明できるメッセージを拒んでしまった。 そのメッセージには過去に栄光や光を当てて、疲れ切った彼を元気付け、希望を与え、そして神様を褒めたたえるに導く力があるのに。 しかし、神聖の知恵より、人間の知恵に頼ってしまった。 年齢のせいと自分の主人の働きのための苦労で衰弱しきった彼には、真理から彼を離れさせた人たちほど責任がなかった。 彼らに責任があるので、その罪は彼らにある。 もしミラーは第三のメッセージの光が見えたなら、暗く、理解しにくい事の多くは解明されたはず。 「あなたのためを思っている。 本当に愛しているよ」と「兄弟」に言われたから、ミラーは縁が切られないと思った。 心が真理の方に傾くと、彼は「兄弟」の方に視線を向けた。 彼らは真理に反対していた。 イエスがやって来るのを宣言した時に自分と並んで肩を持ってくれた人たちと縁を切る事ができるだろうか? 彼らに迷わされるはずがない、とミラーは思った。
ミラーがサタンの支配下に入り、死に治められる事を神様は許した。 神様は、しきりに彼を神様から離れさせようとした人たちからミラーを隠して、墓に収めた。 モーセが約束の地に入ろうとした時に過ちを犯したように、ウィリアム・ミラーが天国のカナンに入ろうとした時に影響力を真理に反対に回して、過ちを犯した事を私は見た。 他の人が彼を迷わせたので、責任は彼らにある。 しかし、神様に仕えた「ウィリアム・ミラー」という貴重なちりは天使たちに見守られ、そして最後のラッパが鳴る時に彼は出て来る。
時代をさかのぼって、キリストの最初の降臨の宣言の事は私に示された。 イエスのやって来る事に備えるため、ヨハネはエリヤの霊と力で送られた。 ヨハネの証しを拒んだ人たちはイエスの教えの恩恵を受けなかった。 最初の降臨の宣言に反対した事によって彼らは自ら、一番有力な証拠があっても、イエスが救世主である事を容易に受け入れられない立場に立たせられてしまった。 ヨハネのメッセージを拒んだ人たちは更にサタンに導かれ、イエスを拒み、十字架につけるように至った。 こうして彼らは自ら、天国の聖所への道を教えてくれる五旬節の日の恩恵が受け入れられない立場に立たせられた。 宮の幕が裂けた事で、ユダヤ教の制度やいけにえはもう受け入れられる事はない、と示された。 大いなるいけにえはささげられ、受け入れられた。 五旬節の日に降りて来た聖霊は、地上の聖所から天国の聖所へと弟子たちの注意を向けるよう導いた。 そこにイエスは自分の血を持ち込んで、そして自分のあがないの恩恵を弟子たちに与えた。 ユダヤ人はまんまとだまされ、真っ暗やみに残された。 救いの計画に当たる光、その得られる分の光を全部見失って、まだ無駄ないけにえやささげものを信用し続けた。 だから彼らは、聖所の第一の部屋で行なわれるキリストの仲裁の恩恵を味わう事ができなかった。 天国の聖所が地上の聖所に代わっても、彼らは天国の聖所への道が全く分からなかった。
ユダヤ人がイエスを拒んだり、十字架につけたりした事を考えると、ぎょっとする人は多い。 その恥ずべき虐待の話を読むと、「私はキリストを愛している。 自分なら、ペテロのように否定はしなかっただろうし、ユダヤ人がキリストを十字架につけたような事はしなかっただろう」と彼らは考える。 しかし神様は、自分の息子に「同情している」と言っている人たちを見て、彼らを試し、口で言うイエスに対する「愛」を確かめている。
天国にいる者は皆、メッセージが受け入られるかどうか、興味津々に見た。 でも口で「イエスを愛している」と言い、十字架の話を読むと涙を流す人の多くは、メッセージを喜んで受け入れるどころか、憤慨し、イエスのやって来る良い知らせをあざけったりして、「あれは妄想に決まっている」と断言する。 彼らは、イエスの現れを心から期待した人たちを嫌って、仲間外れにし、各教会から締め出した。 最初のメッセージを拒んだ人は、第二のメッセージの恩恵が味わえなかった。 そして信仰上、イエスと一緒に天国の聖所の一番聖なる部屋に入るための準備を整えてくれる「真夜中の叫び」の恩恵も味わえなかった。 また、先の二つのメッセージを拒んだので、至聖所への道を示している第三の天使のメッセージにある光が見出せない。 名ばかりの教会は、ユダヤ人がイエスをはりつけたように、これらのメッセージをはりつけにした事を私は見た。 だから彼らは、天国で行なわれた移動や至聖所への道が分からない上、イエスがそこでしている仲裁の恩恵が味わえない。 ユダヤ人が無駄ないけにえをささげたように、彼らはイエスが去った聖所の部屋の方に無駄な祈りをささげる。 「イエスに従っている」と自称する人がだまされ、わなに掛かっているので、サタンは喜んでそのわなをしっかりと締める。 彼は宗教的な様子を装い、この「クリスチャン」と自称している人たちの注意を自分の方に向けさせ、力、しるし、や不思議な偽りを見せて働く。 ある人をある方法でだまし、他の人を違う方法でだます。 彼はそれぞれの考え方に合う惑わしを作って、仕掛けてくる。 ある惑わしに対してぎょっとしても、別の惑わしを容易に受け入れる人がいる。 サタンは、ある人たちを交霊術で惑わす。 また、光の天使のふりをしながら、やって来て、影響を地に広げる。 至る所に偽りの改革が起こっているのを私は見た。 各教会は、「神様は我々のために素晴らしい事をしている!」と意気揚々に受け取ったが、本当は、これが違う霊のしわざだった。 こんなものは次第に消え、世と教会を以前より悪い状態に残してしまう。
名ばかりのアドベンチストや堕落してしまった各教会の中に、神様の正直な子供たちがいる事を私は見た。 そして、災害が注がれる前に、牧師たちや一般の人はこれらの教会から呼び出され、真理を喜んで受け入れる事も私は見た。 サタンはこの事を知っているので、第三の天使の大きな叫びの前に真理を拒んだ人たちが、「神様は我々と共にいる」と思い込むように、このような宗教団体の間に大騒ぎを引き起こす。 正直な者を惑わして、「神様はまだ各教会のために働いている」と思わせるのがサタンの狙いである。 しかし、光は照らして、正直な者は皆、堕落してしまった各教会から出て来て、少数残っている人たちと一緒に立つ事になる。