第35章

第三のメッセージの終わり

第三の天使のメッセージが終わろうとした未来の事が私に示された。 神様の力が自分の民の上を覆っていた。 彼らはそれぞれの働きをやり遂げ、そして目前に控えた試練の準備ができた。 更に「後の雨」つまり、「主の居るところからの元気」を受けたので、生きている証しが再び現れた。 偉大な最後の警告が至る所に告げられた。 地球の住民の中でそのメッセージを受け入れようとしなかった者はそれに扇動され、激怒した。

天国で天使たちが急いで行ったり来たりしている様子を私は見た。 脇に角製のインク入れを付けていた天使のひとりが地球から帰って来て、イエスに自分の働きは終わった事、そして聖人たちは皆数えられ、印が押されている事を報告した。 すると、十戒が入っている契約の箱の前で務めていたイエスが吊り香炉を投げ落とし、手を上の方に差し伸べながら大声で、「完了した!」と言った様子を私は見た。 そこでイエスが厳粛に、「不義な者はさらに不義を行ない、汚れた者はさらに汚れたことを行ない、義なる者はさらに義を行ない、聖なる者はさらに聖なることを行なうままにさせよ」と宣告した時、天使は皆それぞれの冠を脱いだ。

その時に「生」か「死」か、すべての(人間の)判決が下ったのを私は見た。 イエスは既に自分の国の民の罪を完全に消しておいて、自分の王国を受け取っていた。 その王国の住民のためのあがないはもう完成された。 イエスがまだ聖所で務めている間、死んだ義人の裁判の後、生きている義人の裁判が行なわれていた。 王国の住民は構成され、「小羊」の結婚式は終わった。 そしてその王国、全天下の王国の偉大さはイエスと救いの相続者たちに与えられた。 そこでイエスは王の王、主の主として治世する。

イエスが至聖所から出ると服に付いた鈴がちりんちりんと鳴った音を私は聞いて、そして暗い雲が地球の住民を覆った。 有罪の人間と怒った神様との間には仲裁者が居なくなった。 イエスが有罪な人間と神様との間に立っていた時、彼らにはまだ抑えが効いていたが、人間と父なる神様との間からイエスが一歩出るとその抑えは効かなくなり、サタンが人間を支配する事になった。 イエスが聖所で職務を行なう限り災害が注がれる事は不可能だが、その職務を完了して、仲裁を終えると神様の怒りを阻止するものは全部なくなる。 そこで訓戒を嫌って、救いを軽視してきた有罪な人たちの無防備な頭上にその怒りが猛烈に降りかかってくる。 イエスの仲裁が終わってから聖人たちは、その恐ろしい時に仲裁者なしで聖なる神様の視界内に生きていた。 すべての判決が下って、すべての宝石が数えられていた。 天国の聖所の外の方の部屋でイエスはしばらくの間とどまって、至聖所に入っていた間に告白された罪を、罪の元祖であるデビルに戻した。 彼はこれらの罪の罰を受けなければならない。

次に、イエスが祭司の服を脱いで、一番王様らしいローブを身に着ける様子を私は見た。 多くの冠、冠の内側にまた冠がイエスの頭に載っていた。 そしてイエスは天使の大勢に囲まれながら天国から出て行った。 地球の住民に災害が降りかかっていた。 ある人たちは神様を非難したり、ののしったりしていた。 他の人は神様の民にどっと押し寄せ、どうすれば神様の裁きの判決を逃れる事ができるかを教えてくれるよう懇願した。 しかし、聖人たちは彼らのために何も持っていなかった。 罪人のための最後の涙は既に流され、最後の苦しい祈りはささげられ、そして最後の重荷はもう既に負われていた。 「慈悲」の快い声はもう彼らを誘わない。 警告の終止符はもう打たれていた。 聖人たちや天国にいる者が皆彼らの救いに関心を持っていた時、彼らは自分自身の救いに関心を持っていなかった。 「生」か「死」、という選択肢が彼らの前に置かれていた。 多くの人は「生」が欲しかったが、手に入れるための努力を惜しんだ。 彼らが「生」を選ばなかった。 そして今、罪人を清めるあがないの血はもうない。 「容赦して、罪人をもう少し、もう少しの間赦して下さい」と彼らのために懇願する哀れみ深い救い主はもう居ない。 天国にいる者は皆、「もう終わった。 完了した」という恐ろしい言葉を聞いて、イエスと一致団結していた。 救いの計画が成し遂げられた。 でもその計画を受け入れた者はわずかしかなかった。 そして、慈悲の快い声が聞こえなくなると受け入れなかった者は恐怖に襲われた。 そこで彼らは、「遅すぎる!遅すぎる!」というのが恐ろしく明確に聞こえる。

神様の言葉を大事にしなかった人たちは急いで行ったり来たりしていた。 彼らは主の言葉を求め、海から海へ、北から東へと探し回った。 あの天使が、「その言葉は見付からない。 地にききんがある。 これは食料不足ではなく、水不足でもない。 これは主の言葉を耳にする不足である」と言った。 彼らはどれほど、「よくやった」と神様からの一言を聞きたがる事か! しかし、彼らは飢え、渇き続けなければならない。 来る日も来る日も彼らは救いを軽視しながら、天国からのどんな勧めや富よりもこの世の快楽や富を大事にしてきた。 イエスの聖人たちを軽蔑した上、イエスをも拒んできた。 汚れている者は永久に汚れたままでいなければならない。

災害の影響を受けた悪い人たちのほとんどは激怒した。 それはひどく苦しい光景だった。 親は子供をさんざん責めたり、子供は親を責めたり、兄弟は姉妹を、姉妹は兄弟を責め合ったりしていた。 四方八方に、「このひどい時期から助けてくれたはずの真理を拒んだのは、おまえのせいだ!」という号泣が聞こえた。 人々は憎しみに満ちて牧師たちに向かって、「私たちに警告しなかった。 おまえらは、全人類が改宗すると言ったじゃないか。 気になったら、『大丈夫、平和だ』と大声で言ってたやろう? この時期について何も言ってくれなかったし、警告してくれた人たちの事を、『悪いやつらだ。 その狂信者のやつらは私たちを台無しにしようとしている』と言いやがったじゃないか」と彼らを責めた。 でも牧師たちが神様の怒りを逃れなかった事を私は見た。 受ける苦しみは彼らの管理下の人たちが受ける苦しみより十倍もひどかった。

エゼキエル9:2−11、ダニエル7:27、ホセア6:3、アモス8:11−13、黙示録16章、17:14を参照

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第36章

ヤコブの苦難の時期

聖人たちが町や村から出て、小さなグループを作り、本当にへんぴな所で共同生活を送っている様子を私は見た。 天使たちが彼らに食事と水を与えたが、悪い人たちは飢えたり渇いたりして、苦しんでいた。 次に、世界の権力者が協議して、その周りにサタンと彼の天使たちが慌しく動き回っている様子とある文書を私は見た。 その文書がコピーされ、地のいろんな所に配布された。 それによると聖人たちが独特な信仰を捨て、安息日をあきらめ、週の初めの日を守らないなら、実行日がくると彼らを殺しても良い、と命じられていた。 しかし、この時に聖人たちは神様を信頼していて、「逃げる道は用意される」という約束を頼りにしたので、冷静沈着であった。 ところどころにその文書が施行される前に、悪い人たちは聖人たちにどっと押し寄せ、殺そうとした。 でも兵士の姿をした天使たちが彼らのために戦った。 サタンがいと高き者の聖人たちを滅ぼす特権を手に入れたかったが、イエスは彼らを守るよう、自分の天使たちに命じた。 周りの異教徒たちの目の前で神様の法律を守り切った人たちと契約を結ぶ事によって神様は名誉を受ける。 それにイエスも、自分がやって来るのをあんなに首を長くして待ってきた忠実な人たちを、生きているままで天国に移してあげる事によって名誉を受ける。

すぐ、聖人たちが精神的に大変苦しんでいる様子を私は見た。 彼らは地球の悪い人たちに囲まれていたようで、形勢は彼らに不利のようだった。 何人かが、「とうとう神様に捨てられ、悪い人たちに殺されるかも知れない」と心配し始めた。 でももし目が開けられたら、彼らは神様の天使たちに囲まれている様子を見る事ができたはず。 怒った悪群集が次にやって来て、その次に聖人たちを殺すようせき立てている悪天使たちの大勢があった。 しかし、接近しようとすると、まずこの力強い聖なる天使の部隊を通らなければならない。 これは不可能であった。 神様の天使たちは彼らを退却させ、その周りで彼らをせき立てている悪天使たちをも退却させていた。 聖人たちはこの時期を大変恐ろしく、苦しく感じた。 昼夜神様の助けを求め、叫び続けたが、形勢で判断したら、彼らに逃げる道はまったくなさそうだった。 悪い人たちは早くも勝ち誇って、「なぜおまえらの神は我々の手から救ってくれないか? 上に昇って、自分で命を救ったらどうだ?」と叫んでいた。 でも聖人たちは耳を貸さなかった。 彼らはヤコブのように神様と格闘していた。 天使たちは心から彼らを救いたがっていたが、彼らはあの杯から飲まなければならないし、あのバプテスマを受けなければならないので、もう少し待つ必要があった。 それで天使たちは責任を忠実に果たして、見守っていた。 神様が自分のすさまじい力を発揮して、聖人たちを見事に救い出す時が迫っていた。 異教徒たちの間で自分の名前が恥辱される事は許されない。 自分の名前の栄光のために神様は、名前があの本に書かれて忍耐強く待つ人を皆救い出してあげる。

時代をさかのぼって、忠実なノアの事が私に示された。 雨が降って、洪水が起こった。 ノアとその家族は既に箱舟に入っていて、神様によって(扉が)閉められていた。 古代の地球の住民に軽蔑され、バカにされながらも、ノアは忠実に警告していた。 そして水が地面に降って来ると彼らは次々とおぼれ死んで行った。 その時、彼らはあんなにバカにしていた船が安全に水の上に乗って、忠実なノアとその家族を守っているのを見た。 同じように、「神様の怒りは間近だ」と世の人に警告していた神様の民も救われる事を私は見た。 忠実に地球の住民に警告して、生きたまま天国に移される事を期待している上、獣のしるしを受けず、獣の法令に服従しなかった人たちが悪い人たちに殺されるのを神様は許さない。 もし悪い人たちが聖人たちを殺すのが許されたとしたら、神様を嫌う人たち、それにサタンと悪天使たちは皆満足してしまう事を私は見た。 最後の戦いに愛している者を見ようと首を長く、長くしてきた人たちに対して力を振る事ができたら、悪魔大王様はどれほど勝ち誇るだろう! 「聖人たちは上に昇る」という考えをあざ笑ってきた人たちは、神様が自分の民の世話をして、見事に救い出すのを目撃する事になる。

聖人たちは町や村から出て行くと悪い人たちに追い掛けられた。 剣を持ち上げ、聖人たちを殺そうとしたが、持っていた剣がわらのように力無く折れて落ちてしまった。 聖人たちは神様の天使たちに保護されていた。 そして、彼らの昼夜ずっと救いを求め続ける叫びは神様の居るところに届いた。

創世記6−7章、創世記32:24−28、詩篇91章、マタイ20:23、黙示録13:11−17を参照

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第37章

聖人たちの救出

神様は自分の民を真夜中に救い出す事にした。 周りで悪い人たちが彼らをバカにしていると、突然、太陽はギラギラ光りながら出て、そして月は止まった。 悪い人たちは唖然とこの光景を眺めた。 次々にしるしや不思議な出来事が起こって、あらゆるものが自然のなりゆきから覆されたようだった。 聖人たちはこれらの救出のしるしを厳粛な喜びで眺めた。

小川が流れなくなった。 重そうな暗い雲々が現れて、ぶつかり合った。 しかし、ひとつだけ澄みきって安定したところから栄光が差していた。 そこから大水のとどろきのように聞こえる神様の声が出て、天地を揺るがした。 そして大地震が起こった。 墓が揺れ開かれたので第三の天使のメッセージを信じ、安息日を守っていた人たちは、神様が自分の戒めを守ってきた人たちと結ぼうとしていた平和の契約を聞くために栄光を受けたまま、ちりの寝床から出て来た。

空は開いたり閉まったり動揺していた。 山々は風になびく草のように震え、あちこちにごつごつした岩を吐き出した。 海はまるで煮えたぎる鍋のように陸に岩を吹き出した。 神様がイエスのやって来る日にちと時刻を告げ、自分の民に永遠の契約を伝えた時に一句を言って、その言葉が地球の至る所を駆け巡っている間、ちょっと間をとった。 神様のイスラエルはじっと上を見つめながら立って、エホバの口から出て地球を駆け巡る大きな雷のような言葉を聞いていた。 これは大変荘厳なものだった。 告げられる一句一句が終わる度に聖人たちは、「栄光! ハレルヤ!」と叫んだ。 彼らの表情が神様の栄光で明るくなり、顔は、モーセがシナイ山から下りた時の顔と同じように輝いていた。 あまりの栄光で悪い人たちは見ていられなかった。 そして安息日を守ることで神様に栄光を帰した人たちに終わりのない、永遠の祝福が下った時、獣と獣の像に対して力強い勝ちどきが上がった。

それからヨベルが始まり、土地は休める事になる。 敬虔な奴隷が勝ち誇って勝利を得、縛られていた鎖を払い落とすのを私は見た。 でも、その奴隷の悪い主人はどうしたら良いのか分からず、参ってしまった。 なぜなら、悪い人たちは神様の言う事を理解できなかったからである。 そしてすぐ、あの大きな白い雲が現れ、そこに「人の子」が座っていた。

遠く現れた時にこの雲がとても小さく見えた。 あの天使が、「これは人の子のしるしだ」と言った。 その雲が地球に近付くと私たちは、勝利を得るために乗っているイエスの素晴らしい威厳と栄光が見えてきた。 頭にキラキラ輝く冠をかぶっていた聖なる天使たちがイエスに付き添っていた。 その光景の素晴らしさは言葉では言い表せない。 比類のない栄光で威厳のある生きた雲が更に近付いて来るとイエスの立派な姿がはっきりと見えてきた。 いばらの冠をかぶらないで、その聖なる額は栄光の冠で飾られていた。 イエスの服と太ももに、「王の王、主の主」という名前が書かれていた。 イエスの目は炎のようで、足は精錬されたしんちゅうのように見え、そして声は多くの楽器のように聞こえた。 イエスの表情は真昼の太陽のように輝いていた。 地球はイエスの前で震え、「天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。 地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、洞穴や山の岩かげに身を隠した。 そして、山と岩とに向かって言った、『さぁ、我々を覆って、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。 御怒りの大いなる日が、既にきたのだ。 誰が、その前に立つ事ができようか』」。

ちょっと前に神様の忠実な子供たちを地球から消そうとした人たちは、神様の栄光が彼らを覆う事を目撃しなければならなかった。 彼らの栄光を受けた姿を。 恐ろしい光景の中で聖人たちが、「見よ、これは我々の神である。 私たちは彼を待ち望んだ。 彼は私たちを救われる」と喜んで言う声を、彼らを消そうとした人たちは聞いていた。 神様の息子が眠っている聖人たちを呼び起こすと地球は大きく揺れた。 彼らはその呼び掛けに応じ、素晴らしい不死をまとったまま出て来て、そして死と墓に対して、「勝利だ! 勝ったぞ!」と叫んだ。 「死よ、おまえのとげはどこにあるのか。 墓よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。」 その時、生きている聖人たちとよみがえった聖人たちは声を合わせて長い勝ちどきを上げた。 病気で墓に下った体は永遠の元気と健康を受けて出てきた。 そして生きている聖人たちは瞬く間に、一瞬にして変えられ、よみがえった聖人たちと共に上の方に引き上げられた。 こうして一緒に空中で彼らの主に会う。 あぁ、これは何と素晴らしい顔合わせになるだろう! 死で離れ離れになってしまった友達が再会して、もう二度と離れる事はない。

雲車の両側に翼があって、その下に生きている車輪があった。 雲車が上の方に走りながらその車輪は、「聖なる!」と大声で言い、翼は動く度に、「聖なる!」と大声で言った。 それに雲の周りにいる付き添いの天使たちも、「聖なる! 聖なる! 聖なる! 全能の主、神様よ!」と大声で言った。 雲の中にいる聖人たちも、「栄光! ハレルヤ!」と大声で言った。 このようにして雲車は上の聖なる都の方に走り続けた。 聖なる都に入る前に聖人たちは、イエスを中心にした正方形を作って、立った。 イエスは聖人たちと天使たちより頭と肩とだけ背が高かった。 その正方形にいる者は皆、イエスの威厳のある姿と立派な表情を見ることができた。

列王記下2:11、イザヤ25:9、コリント第一15:51−55、テサロニケ第一4:13−17、黙示録1:13−16、6:14−17、19:16を参照

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第38章

聖人たちの報い

次に、都からおびただしい数の天使が、素晴らしい冠を持って来る事を私は見た。 それぞれの聖人のために冠があって、各冠にはその聖人の名前が書かれていた。 そしてイエスが冠を持って来るよう命じると、天使たちはそれらを渡した。 すると愛しいイエスは自分の右手で聖人たちの頭の上に冠を載せた。 同じように天使たちがハープを持って来て、そしてイエスはハープをも聖人たちに渡した。 指揮官の天使たちが最初の音を出すと皆は声を合わせて、幸せと感謝をこもった歌で賛美した。 すべての手は上手にハープの弦をさっとなでて、完璧な調子で美しいメロディーの音楽を作った。 次にイエスが償われた団体を都の門まで案内する様子を私は見た。 イエスはキラキラ光るちょうつがいで動く門をしっかりつかんで、力強く開け、そして真理を守ってきた諸国の人たちに入るよう言った。 都にあるものはみな目を楽しませるものばかりだった。 彼らはどこに目をやっても素晴らしいものが見えた。 その時イエスは、栄光で表情が光って償われた聖人たちを見渡した。 そして優しい目付きで彼らを見つめ、深みのある音楽のような声で、「私の魂の労苦の結果を見て、満足する。 この素晴らしい栄光を永遠に楽しんでも良い。 あなたたちの悲しみはもう終わった。 もはや死はなく、悲しみも、泣きも、痛みもない」と言った。 償われた大勢はひれ伏して、それぞれのキラキラする冠をイエスの足元に投げ落としたのを私は見た。 イエスの美しい手で引き起こされると彼らはハープを持って、小羊への歌や音楽で天国を満たした。

次に私は、償われた大勢を命の木の方へ案内しているイエスを見た。 そしてもう一度、今まで人間の耳に入ったどんな音楽よりも深みのある美しい声でイエスが、「この木の葉は諸国民をいやすためのものである。 全部食べなさい」と言うのを私たちは聞いた。 命の木には聖人たちが好きなだけ食べられる美しい実があった。 都に大変素晴らしい王座があって、その下から水晶のような澄んだ命の水の川が湧いて流れた。 この「命の川」の両端に「命の木」があった。 川のほとりに、食べるに良い果実をつける美しい木々があった。 天国の様子を説明するには言葉というものは全く物足りない手段である。 その光景が私の前に現れてくると夢中になって、うっとりしてしまう。 その壮麗さや素晴らしい栄光のあまりで私はただペンを置いて、「あぁ、何という愛か! 何という素晴らしい愛か!」と感嘆するしかない。 一番格調高い言い回しを使っても、天国の素晴らしさや救い主の比類のない愛の深さを説明する事はできない。

イザヤ53:11、黙示録21:4、22:1−2を参照

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第39章

地球の荒廃

次に、私は地球を見た。 悪い人たちが死んで、そのしかばねは地面に横たわっていた。 「最後の七つの災害」で地球の住民は神様の怒りに苦しめられた。 苦痛のあまり、自分の舌をかじって、神様をのろっていた。 偽りの牧者たちは特に神様の怒りの的となった。 立ったまま、彼らの目玉がその穴の中で溶け、舌が口の中で溶けていた。 聖人たちが神様の声で救い出されてから、悪大衆の怒りは互いに向けられていた。 地球は血の洪水のようになり、そして果てから果てまでしかばねがあった。

地球は荒廃を極める状態であった。 都市や村々はあの地震によって崩れ落ち、がれきの山となった。 山々はあった場所から移され、大きな洞穴を残した。 海はごつごつした岩を地面に吹き出して、そして土の中から岩が抜き取られ、地面の至る所に散らばっていた。 地球は荒れ果てた荒野のように見えた。 大きな木は根こそぎにされ、地面に散らばっていた。 ここはサタンと彼の悪天使たちが1,000年間住む場所である。 彼らはここで拘束され、凸凹の地面をあちこちさまよいながらサタンが神様の法律に反抗した結果を見る事になる。 サタンは、自分がもたらした呪いの結果を1,000年間も楽しめる。 彼は地球に拘束されるので他の惑星に行ったり来たりして、堕落していない者を困らせたり、誘惑したりする特権は与えられない。 この期間中サタンは本当に苦しむ。 彼が堕落してから自分の性質の悪いところは常に働かされてきた。 でもその時、自分の権力が発揮できないので、堕落してから果たしてきた役割を顧みる。 自分のやってきた悪い事と犯させた罪をみなのために苦しみや罰を受けなければならないという恐ろしい未来の事について、サタンはびくびくおびえながら考える。

次に天使たちと償われた聖人たちから一万個の楽器のように聞こえる勝ちどきが上がるのを私は聞こえた。 それは彼らが、もうデビルによって困る事も、誘惑に会う事もない上、地球以外の世界の住民もデビルの存在や誘惑から救い出されたからである。

次に私は王座を見た。 それらの王座にイエスと償われた聖人たちが座り、その聖人たちは神様の前で王様と祭司として支配した。 死んだ悪い者たちの行為が法令書、つまり神様の言葉と比べられ、そして彼らは肉体でやった事で裁かれた。 イエスは聖人たちと一緒に、悪い者たちがそれぞれの行為に応じて味わわなければならない苦しみの量を与え、それを「死の書」という本の、彼らの名前の欄に書いた。 サタンと彼の天使たちもイエスと聖人たちによって裁かれた。 サタンの受ける罰は彼がだました者たちの罰よりはるかに重い事になる。 彼らが受ける罰と比べものにならないほど重い。 自分がだました者が皆死んでも、サタンははるかに長く生き続け、苦しめられる事になる。

悪い死者たちの裁きがその1,000年で終わってからイエスは都から出て行った。 そして天使たちは列を作って、聖人たちと一緒にイエスに付いて行った。 イエスは巨大な山の上に下りた。 足が山に触れるなり、山は真っ二つに裂け、広大な平原になった。 次に私たちは視線を上の方に向け、十二の土台と十二の門、各側に門が三つずつあり、それに各門に天使がいる大いなる美しい都が見えた。 そこで、「都だ! その大いなる都は神様の元から出て来ている!」と叫んだ。 そしてキラキラ輝いた華麗な都はイエスに用意された大平原に下りて、着地した。

ゼカリヤ14:4−12、黙示録20:2−6、20:12、21:10−27を参照

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第40章

第二の復活

次に、イエスと償われた聖人と付き添いの聖なる天使は皆、都から出て行った。 聖なる天使たちはイエスを囲んで護衛して、そして償われた聖人たちは列を作って付いて行った。 その時、大変恐ろしい威厳を持って、イエスは死んだ悪い者たちを呼び起こした。 すると彼らは墓に入った時と同じような弱々しく、元気のない体で上って来た。 何という有様か! 何という光景なのか! 第一の復活の時に皆は不死盛りのままで出て来たが、第二の際、皆に呪いの影響が見える。 この世の王様や貴族たちは卑劣な者や身分の低い者たちと、教養のある者とそうでない者と一緒に出て来る。 そして皆は人の子を見る。 イエスを軽蔑したりバカにしたりして、葦で打ち、イエスの神聖な額にいばらの冠を載せた人たち、正にその人たちはイエスの王様らしい威厳のある姿を見る。 裁判の場でイエスにつばを吐き掛けた人たちは今、イエスの射るような眼差しや、表情の栄光から顔を背けようとする。 イエスの手と足に釘を打った人たちは今、はりつけの跡を見る。 イエスの脇にやりを突き刺した人たちは自分の残酷な行為の跡を見る。 そこで自分たちがはりつけて、息を引き取った苦しい時にあざけった者が正にこの者であると分かる。 そして彼らが王の王、主の主の前から逃げようとする時、長い苦しいわめき声は上がる。

昔軽蔑していた者の恐ろしい栄光から身を守るため、皆は岩の陰に隠そうとしている。 イエスの威厳と優れた栄光のあまり、皆は苦しんで、圧倒される。 そこで皆は一斉に声を上げて、恐ろしくはっきりと、「主の名前によって来る者に祝福あれ」と叫ぶ。

次に、聖人は皆イエスと聖なる天使たちと一緒に都に戻る。 そして滅びる運命づけられている悪い者たちの辛い悲嘆やわめき声が至る所に響く。 次に、サタンがもう一度働き出した事を私は見た。 彼は自分の国民の間を回って、弱い者や元気のない者に力を与えてから自分と自分の天使たちは強い、と彼らに言った。 それから、よみがえった無数の人を指差した。 戦術に精通して、国々を征服していた偉大な王や戦士たちがそこに居た。 そこには力強い巨人たちと、戦いに一度も敗れた事のない勇敢な人たちも居た。 接近するだけで諸国を震わせた野心のある高慢な男、ナポレオンも、そこに居た。 背が非常に高く、高尚な気品のある振る舞いをして、戦場で倒れた人たちがそこに立っていた。 征服欲を抱きながら彼らは倒れた。 それぞれの墓から出て来る時、死で途切れた思考の流れは、途切れてしまったところから再び始まる。 彼らは倒れた時に左右されていた征服心に再び左右される。 サタンは自分の天使たちと協議してから王様と征服者、それに強い人たちと協議する。 それからサタンは、あの巨大な軍団を見渡して、「都にいる団体は小さくて弱い。 我々は上り攻め、そこの住民を追い出して、そこにある栄光と富を手に入れる事ができる」と言う。

彼らはまんまとサタンにだまされるので、皆が直ちに戦争の準備を開始する。 その巨大な軍団に、熟練した人たちがたくさん居るので武器を作る事にする。 それからサタンを先頭にして、大軍団は移動する。 サタンのすぐ後ろに王様や戦士たちは付いて行って、その大軍団も各部隊に分かれて付いて行く。 各部隊に隊長がいる。 そして彼らは隊形を整え、聖なる都を目指して、凸凹な地面の上を行進する。 イエスは都の門を閉める。 そしてその大軍団は都を囲み、戦闘態勢を取る。 彼らは激戦を予想しているので、あらゆる種類の武器を造っておいて、都の周りに整列する。 イエスと頭にキラキラ光る冠をかぶっている天使の大勢と、輝く冠を持つ聖人は皆、都の城壁の上の方に上る。 イエスは威厳のある口調で、「罪人よ! 義人が受ける報いを御覧なさい! 私が償った人たちよ! 悪い者たちが受ける報いを御覧なさい!」と言う。 そこでその巨大な軍団は都の城壁の上にいる素晴らしい団体を見る。 彼らのキラキラ輝く壮麗な冠を目撃し、それぞれの顔が栄光で光ってイエスの形を表している事、それに王の王、主の主の比類のない栄光と尊厳を見ると軍団は気を落としてしまう。 失った宝と栄光の貴さがどっと彼らを襲い、そして「罪の報いは死である」という事を痛感する。 軽蔑していた「幸せな聖なる団体」が栄光、名誉、不死、それに永遠の命をまとっているのに、自分たちは都の外で、卑劣な忌まわしい者と一緒にいる光景を見る。

マタイ23:29、黙示録6:15−16、20:7−9、22:12−15を参照

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第41章

第二の死

サタンは軍団の中に駆け込んで、彼らを奮起させようとする。 しかし、天の方、神様から火が降り注がれる。 そこで偉大な人、力強い人、貴族たちや貧しい人たち、卑しい人は皆一斉に焼き尽くされる。 ある人は早く滅びたが、他の人はもっと長く苦しめられた事を私は見た。 彼らは肉体でやった事に応じて罰せられた。 ある人は多くの日数を掛けて焼かれ続けた。 体に焼かれていない部分がある限り、痛みは和らぐ事なく感じられる。 あの天使が、「命の虫が死ぬ事はない。 彼らの火は食い物にする部分がある限り、決して消える事はない」と言った。

しかしサタンと彼の天使たちは長く苦しめられた。 ただ自分の罪の重みや罰だけを負わないで、償われた人の罪がみなサタンに置かれていた。 その上、彼が台無しにした者たちの魂のため苦しまなければならない。 次に、サタンと悪い者が皆焼き尽くされたのを私は見た。 それで神様の正義感が満たされた。 そこで天使と償われた聖人は皆、大きな声で、「アーメン!」と言った。

あの天使が、「サタンは根で、彼の子らは枝である。 彼らは今、根元から枝まで焼き尽くされている。 永遠の死を喫してしまい、もう復活がない。 そして神様は清い宇宙を所有する」と言った。 次に私が見ると、悪い者たちを焼き尽くした火はゴミなどを焼却していて、地球を浄化しているところだった。 もう一度見たら地球はもう浄化されていた。 呪いの跡は一つもなかった。 割れた凸凹な地面は今、巨大な平原のように見えた。 神様の宇宙は隅々まで清くなった。 大闘争は永久に終わった。 私たちがどこに視線を向けても、どんな物を目にしても、すべてが美しく聖なる物ばかりであった。 そこで償われた年寄りや若者、偉大な人と小物は皆、償ってくれた者の足元に自分のキラキラ光る冠を投げ落とし、前にひれ伏して、永遠の永遠に生きる者を熱愛を込めて礼拝した。 美しい「新地球」とそこにある栄光のすべては、聖人たちが永久に相続するものであった。 その時、天下の権力と王国、それに王国の偉大さのすべては、いと高き者の聖人たちに与えられ、彼らはそれを永遠の永遠、永遠に所有する。

イザヤ66:24、ダニエル7:26−27、黙示録20:9−15、21:1、22:3を参照

終わり

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